フィリピンの現地で考えた
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京都府・八木優子 |
2002年 9月25日
通巻 1122号
世界との関係を考える フィリピンの経済活動や人々の生活についてほとんど知識のない私にとって、ニュースで流れる映像と、時たまスーパーマーケットで買うフィリピン産のバナナぐらいしか接点がなかった。 ある国の文化や生活習慣を、自分が住んでいる国の文化や生活習慣を基準に「違い」を対比することしかできない。見てきたことや教えられたことだけを基準にした定規で物事を押しあてているにすぎない自分に気づく。「違うんだから仕方ない」と、わかったような顔をしながら、自分の置かれた状況と他の状況を「優位とそうでない方」という理解で終わっている。違いを認めているようで、今ある社会の矛盾や非合理をそのまま呑み込んでいるだけではないか、と思う。その国の経済活動や人々の暮らしと自分との「関係」になると全く説明できない。 一歩進んで、その「違い」はどういうことを意味しているのか、そして「優位」あるいは「劣位」に立っているという意識は何なのかということをじっくり考えたいと思っていた。殊に、9・11事件後は自分(の生活)との「関係性」に焦点を置いた話を友人とすることが多くなった。そのようなときに、「よつ葉グループ」からフィリピン女性訪問団の募集があり、「何か自分の目で確かめられることがあればいいなあ」と思い、参加した。 フィリピンの生協運動 私たち訪問団(女性5名、男性1名)が訪れたのは、マニラから南へ飛行機で1時間半のカガヤン・デ・オーロ市。空港ではセントレイス(フィリピンの生活協同組合組織)代表のドリスさんはじめ女性メンバーがあたたかく出迎えてくれた。私たちの意向を聞きながら訪問中のプログラムを組んだり、ガイド、交流会、2日間のホームステイ…等々、すべて彼女たちにお世話になった。バナナ農園、ODA開発によるミンダナオコンテナポートの視察、エコビレッジ(民芸品が見学できる観光スポット)見学など、1日半の滞在スケジュールにそって活動した。 ポートエリアでは、生活の場から追い出された人たちの話を聞く機会を持ったが、厳しいスラムでの生活の状況と、ミンダナオコンテナポートに並んでいた三菱や川崎、東洋という日本企業の看板や重機との「関係性」を自分たちの問題として考えなければならないと思った。 DVシェルターと女性センター 今回の訪問の目標のひとつ「女性たちとの交流を」について。 8月6日の午後、女性支援センターとなっている建物に案内してもらった。そこで女性たちとの交流会があり、フィリピンの女性の状況、特にDV(ドメスティックバイオレンス=夫、恋人からの暴力、身体的暴力だけでなく精神的暴力)について話を聞いた。 奥に簡単な台所だけがある、こじんまりとしたスペースだが、この場所はシェルターとして大切な役目をしているということだった。実際、サバイバー(DVから生還した人たちという意味で)の女性たちの体験を聞かせてもらったが、このシェルターの果たす役割の大きさを感じずにいられなかった。DVの夫から離れるためにも経済的自立は欠かせないが、かなり困難な状況がある。このシェルターのなかでお菓子づくりをしたり、話を聞き合ったり、学習したりして、将来的自立のためのスキルを身につけている。 「夫や男性の暴力は、経済的貧しさだけによるものではない。お金を持っている男性も暴力を振るう。「女性は男性より低い存在」「人としてではなく物として扱う」「男は女を殴ってもよい」という考えがDVを引き起こしている」と話されていた。これまでもいろんなところでDVについて聞いてきたが、フィリピンでのDVの内容に国を越えた「深刻な男性問題、構造的、制度的問題」という感を強くした。 交流するにはあまりにも短い日数だったが、女性支援センターで出会った女性たち、そしてセントレイスの女性たちの、前向きで連帯を大切にする姿勢に、「自分の地域でも何かできるのでは…」と背中を押された思いである。生活者が連帯するとはどういうことなのかを、これから考えていきたい。 |
人民新聞社
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