戸籍はイラン・児扶手はトルコ
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「児童扶養手当闘争勝利報告集会」を終えて |
LEMON+C/栄井 香代子 |
2002年 9月25日
通巻 1122号
「非嫡出子」の烙印を拒否 9月14日、京都駅ビル西側のキャンパスプラザで、「戸籍はイラン・児扶手はトルコ・パスポートはアルゼンチン―児扶手闘争勝利報告集会」を主催しました。 京都に在住する柴崎文恵さんは、1989年に未婚で子どもを出産しましたが、出生届を出すときに、自らの子どもに自分自身の手で非嫡出子という被差別の烙印を押すことはどうしてもできないということで、子どもの戸籍を作らずに住民票の登録を行い、現在に至っています。健康保険、子どもの保育園、母子医療券など、その都度行政とかけ合いつつも、日常生活のさまざまな権利を獲得していきました。 しかし、1994年、生活の困窮を理由に児童扶養手当の申請をしたところ、子どもの戸籍がないことを理由に却下され、以後1995年10月、京都府に異議申立、12月厚生省に審査請求を行いましたが、回答もないまま日々が過ぎました。1997年には、厚生省と府のやりとりについて個人情報開示請求を行ったり、何度も京都府庁(この間に、保険年金課、児童家庭課、児童保健福祉課とコロコロ部署名が変わる)に足を運び交渉を続けてきました。 1999年には、認知による手当の打ち切り裁判で勝訴が続出したことを受け、再度児扶手の申請を行いました。今年4月に決裁がおりると言われたものの、その言葉も裏切られ、6月『我慢の限界、京都府は真摯に反省しろ』交渉を行い、7月10日、支給決定の連絡がありました。翌日朝刊各紙に報道され、子どもの戸籍を作らなかった理由として、「母子家庭や非嫡出子の差別を助長する」と明記されていたことの意義は大きなものでした。 最後の難関=パスポート取得 集会は2部構成で、前半は本人による児童扶養手当を獲得するまでの8年間の経過報告と弁護士からの補足説明の後、この間、受給決定がおりたとたんの手当制度改悪に憤り、「児童扶養手当の改悪に反対する関西連絡会」のメンバーとプライバシー侵害の養育費申告書を撤回させる申し入れで動いたこともあり、その闘争報告を中野冬美さんにしてもらいました。 後半は、戸籍の記載のない子どもにとっての最後の難関、パスポートの受給にむけた取り組みの報告をしました。 8月7日、15日と京都府旅券事務所に戸籍の記載のない子ども2名、戸籍を添付せずにパスポートの発給を求める申請者2名ということで申請書を提出しました。22日に、外務省と旅券事務所の協議説明を受け、即日の公文書公開請求をはさみ、9月10日に申し入れを行った経過報告と、裁判(踏み切るとしたら、日本で初めて!)に移行する場合の弁護士からの説明。 最後に、ちょうど10年前にも同じケースで申請した「婚外子差別と闘う会」の大田さんから、子どもの人権と国連の勧告ということで報告をいただきました。 住基ネットの研修で韓国に行っている北川れんこ衆議院議員からのメッセージを読み上げ、また、戸籍のない子どものパスポート問題について最も精力的に活動してきた神戸市「みこれん」の永木のりこさんからもメッセージをもらい、最後は集会スローガンを採択して、集会を終えました。 参加者は40名と小規模ながら、政府・国家が母・子ども・女・男をどのような視線で管理支配しているのかということを鋭くあぶり出す集会となりました。 ■集会スローガン ついでに、一応集会スローガンも書いておきます。 ▼ 外務省旅券課と京都府旅券事務所は、戸籍の記載のない子どもたちに、すみやかにパスポートを発給せよ! ▼外務省旅券課と京都府旅券事務所は、個人のあらゆるプライバシーを表記した文書であり、本人確認の推定領域をでない戸籍謄(抄)本を、旅券発給の必要添付書類とするな! ▼外務省、法務省は国籍法に基づく国籍確認を行え!/戸籍の差別記載をやめさせよう!/法務省は筆頭者欄を撤廃せよ!/法務省は本籍地欄を撤廃せよ!/法務省は続柄欄の差別記載をやめろ! ▼人々の管理台帳、差別のみなもと戸籍制度解体! × ※ 集会タイトルは、単なるギャグで、「戸籍はいらない、児童扶養手当は取れたぞ、次はパスポート申請だ」という意味です…。 |
人民新聞社
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