映画評

チョムスキー9.11
Power and Terror

2002年 9月15日
通巻 1121号

「チョムスキー9.11 Power and Terror」のチラシアメリカこそ最悪のテロ国家!

2002年/シグロ作品/監督・ジャン・ユンカーマン
日時:9月28日(土)午前10時50分/会場:ユーロスペース(03-3461-0211)
日時:10月12日(土)午後8時45分/会場:京都アサヒシネマ(075-255-6760)


 映画は、ノーム・チョムスキーの各地での講演会を追って、淡々と描かれてゆく。何の変哲もない。ただし、この作品が、多くのインタビューの寄せ集めや、単なるドキュメンタリー作品で終わっていないのは、チョムスキー個人の話術の巧み、エスプリの効いたジョークによるところが大きい。ここには、ギリシャ哲学者たちの対話のように、西欧社会の到達した最も優れた文化の伝統が息づいている。
 チョムスキーは、主に、覇権国家を俎上に載せる。その軽快な語り口と抑制の利いた、持続的な情熱で、力すなわち正義である、という覇権国家の盲点を揶揄する。覇権の論理に対置しては、制圧された側の恨みの構造を明らかにする。その上で、覇権国家が嫌われる「原因」を、理性的に分析してゆく。
 チョムスキーがこの映画の中で語っている事実は、悲惨な戦争のうちでも、最も目を覆いたくなるような事例である。にも関わらず、見る者に一種のカタルシスを感じさせるのは、チョムスキーが、率直に、理性的に、事態を見ているからである。彼は、悪戯好きな妖精のように事態の推移を見、正確なメスを当て、悪所を切開してみせる。彼の武器は、徹底した率直さと偏見のない知性である。観衆は、自分達の内側でもやもやしていたものが、顕にされ、言葉という理性によって生まれ変わる瞬間に立ち会っているのである。
 このことが、この映画が扱っている問題の深刻さ、悲惨から、観客を救っている。見終わってから、一種の清々しさすら感じさせる原因になっているのだ。
 明快なものの名を理性と呼ぶ。この映画は、その理性が立ち働く現場の証言である。映画を見終わった観客に託された清涼感こそ、「テロの時代」を生きる我々への、監督からのメッセージであり、チョムスキーその人からの問いかけである。あなた自身も、理性を研ぎ澄ませて「静穏」に生きないか と。 (長谷川 明)

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人民新聞社

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