「裸の王様」を見て「フリチン」
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鵜戸口哲尚(男・50代) |
2002年 9月15日
通巻 1121号
私にとって9・11とは何であったか 可能態としてのアメリカ民主主義の「政治的」死を告知する弔鐘であった。と同時に、アメリカ国家自体の凋落の否み難い予兆の具現であった。私の脳裏では、思わずギンズバーグの『アメリカの没落』の章句が甦った。 「アメリカよ ぼくはきみにすべてを捧げていまでは無だ。/アメリカよ 2ドル217セントしかない1956年1月17日。/ぼくには じぶんの精神が耐えられない。/アメリカよ いつぼくらは人間の戦争をやめるのだろう」という章句を思い出した。 9・11は、第2次大戦後アメリカが全世界にばらまいてきた「民主主義」と「人権」という偽善のイデオロギーの効用が絶命したことを、全世界の人々の目にまざまざと見せつけたのである。 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるが、第2次大戦後の世界の戦争は、ほとんど200件に達しようとした。そして、ほとんどそのすべてにアメリカが何らかの形で関与していた。アメリカは、常に第3世界の少数者の利害しか代表しない独裁政権を、国策として支持し支えてきた。そして、それは常にアメリカの掲げる「民主主義」「人権」と矛盾せざるを得なかったのである。 だが、イラン革命においてホメイニが、CIAの年金被支給者であったり、ビン・ラディンの出自にしろ、イラクのクェート侵略問題にしろ、今回のアフガン問題のアメリカの「処理」構想の変遷にしろ、アメリカが如何に声を大にして民主主義を叫ぼうが、アメリカ「政府」の特に〈外交政策〉は、常に軍事力にしか基礎を置き得ず、その集約的な表現がWTCの「崩壊」だったのである。 要するに、9・11とは、アメリカの「驕り」のブーメラン効果なのである。言い換えれば、全世界の「冷戦構想」とそのイデオロギーに安住してきたすべての人々に、「死」を宣告したのである。無論、私の言っているのは、CIAお抱え学者F・フクヤマの言う「歴史の終焉」でもなければ、ハンティントンの「文明の衝突」でもない。それは、1970年代後半の、冷戦体制下におけるインドネシアのティモール侵略(私は「侵攻」とは呼ばない。同じように私はイラクのクェート「侵攻」とは呼ばない)、ヴェトナムのカンボジア侵略と、1980年代幕開けの泥沼化するイラン・イラク戦争に典型的に表徴されるように、第3世界による第3世界の「侵略」の様式はすでに開始されていたのである。 恐らく1980年代央のレーガン・サッチャー時代のパレスチナ問題に関わるスウェーデン社民オロフ・パルメの暗殺も、それと無縁ではなかったろう。今のアメリカが唱える「民主主義」は、強権と軍事力の誇示と宣伝力によって世論を黙らせることがねらいであり、世論を一様化しようという妄執に憑かれている。だからこそ、そのスローガンはエスカレートし、「正義」とか「反テロ」に行かざるを得ないのだが、もはや世界中の誰も、子供ですらその言葉を額面通りに受け取る者はいないことは、他ならぬアメリカ政府自身が知っている。上品な人々は、アメリカの「正義」を「ユニラテラリズム」とか「独善主義」と呼びながら半ば肯定しているが、その本質は反民主主義に裏づけられた「暴力」そのものにほかならない。要するに、世界の政権が「裸の王様」を見て、「フリチン」だと言えなくなっているのである。20世紀末期にあれほど威勢を誇った社民政権のなれの果てがこういうことかと思うと、暗澹たる思いに駆られる(断っておくが、私は社民を全否定するつもりなどは、全くない)。 最後にメッセージとして伝えておきたいが、チェイニー、ラムズフェルド、アーミテージ、ウォルフォウィッツといった、多くは湾岸戦争に関わったファシスト・権益集団が、彼らの研究成果として、原爆投下の政府部内構造の操作と、東京(トンキン)湾事件の演出の妙味と、湾岸戦争の味を覚えて暴走するのを阻止するのが、断固として我々の義務であると私は信じる。そのためには、もはや、ブレア、ブッシュ、小泉政権の打倒は必須の地点に来ていると思うのである。 |
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人民新聞社
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