【投稿特集】私にとっての9.11
目先の「安心・安全・信頼」を
|
加藤憲章(男・50代) |
世界貿易センタービルに突入する旅客機と、世界資本主義の象徴と思われるそのビルの崩壊の風景は、ある静寂を伴いながら、ものの見事に体の奥底まで私たちの置かれている現在を伝え・明らかにした。テロがいい、わるい以前に、私達の世界を、その突入と崩壊の風景を通して、教えてくれた。これが、私にとっての9・11の最大の意味だった。 その圧倒的な印象は、すぐに私の中で、前日の日本における「狂牛病の初発生」と結びついた。そして、なぜそうだったのかを、今も考えている。 狂牛病の発生以降、日本では、次々と食べ物をめぐってその虚偽の表示や、税金泥棒の実態、政治の無責任さが、内部告発によって明らかにされている。そして、食べ物の世界から、鈴木宗男へ、巨大商社へ、原発へ…と、ウソが蔓延していることが、誰の目にも明らかになってきた。 社会のいろんな場所で、「信頼を回復するために」と、相互の不信感・不信頼、そして相互の想像力の欠如を前提とした「対策」なるものが、大合唱されている。それは食べ物の世界では、生産・製造過程の情報開示と基準の厳格化と罰則の強化体制作りである。また、住基ネットであり、有事立法の制定でもある。 敵は、「豊かな世界」が「貧しい世界」とセットであり、それゆえに、あらゆるテロに晒されていることをよく知っている。9・11であり、狂牛病であり、残留農薬野菜であり、パレスチナ…である。そして、豊かな世界に住む人間には、なぜ自分たちがテロに晒されるのか、理解できないように社会を作り上げていくことが、必要とされている。豊かさを維持するには、「貧しい」他者への想像力は、無用のものとしなければならないとの決意だ。 9・11は、狭い目先の「安心や安全・信頼」を求めている、豊かな世界に住む私たちのあり方の欺瞞を徹底的に暴露した。 |
[ 「特集」へ戻る ]
人民新聞社
このページは更新終了しております。最新版は新ページに移動済みです。