【投稿特集】私にとっての9.11
ある青年の転換 |
兵庫K生(男・50代) |
2002年 9月15日
通巻 1121号
私は受験生に数学を教えることを仕事にしている。 A君は、1年浪人しているとき、私と出会った。彼の希望は日本の大学の経済学部を出て、それからアメリカに渡り、あちらの大学院を出て、日米またにかけて事業を展開することだった。彼の計画をいろいろ具体的に聞いたとき、私は思わず「君なあ、アメリカってそんな良いものではないよ」と言ったが、彼は怪訝な顔をするばかりだった。 無事に大学生になり6月頃に会うと、「今は、サミエルソンを読んでいます」と言う。思わず「でもなあ、やっぱり資本論を読まなくては」と言ってしまった。 そして9・11である。10月になって再び彼がやって来た。しかし今度は明らかに悄然として。「あの事件の後、なんで彼らはこんなことをしたのか調べました。アメリカがどんな国なのか、見えてきました。自分の夢も、そんなアメリカの見方のものでしかなかったことがわかった。今はどうしていいかわからなくて呆然としています」と言うのだ。私は「どうしていいかわからないところから道を探すのが、君の大学生活だ。あせることはない」と言って、食事に誘いいろいろ話した。 9・11については、アメリカ帝国主義に反対する者のなかでも「よくやった」から「アメリカの世界支配を強めただけだ」というものまで、いろいろ見解は分かれる。しかし、9・11を契機に、事実としての南北問題にやっと気づき、それまでの価値観が砕かれ、新たに考えはじめた 君のような若者が生まれたことは確かだ。 私は彼に言ったものだ。9・11以降、資本論の読み方も深まらなければならない。アメリカ経済が左前になればなるほど、市場経済という大域主義を振りかざして世界支配を露骨にしてくる。それに対するには、それぞれの経済、文化、言葉、歴史等の固有性と、人間が共に生存するという普遍性が一つになったわれわれの生き方が生みだされていかなければならない。…云々。さて、我々の世代はどう生きるのか。 |
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人民新聞社
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