フィリピン訪問記

グローバル化の中でいっそう貧困に
落としこめられるフィリピン民衆

2002年 7月5日
通巻 1115号

 グローバル化のなかで第3世界の民衆がどうなっているのか、もうひとつ実感としてぴんとこなかったのが正直なところであったが、今回7年ぶりにフィリピンを訪れて、グローバリズムがもたらしている現実をつぶさに見ることができた。(松永了二)

「フィリピンの資源は安い労働力だけだ」―大統領・アロヨ
 日・米資本に経済支配されているフィリピンは、ほとんど無防備にグローバリズムの流れに巻き込まれ、とりわけ中国がWTOに加盟したことによって、さらに激しい競争に見舞われている。
 「フィリピンの資源は安い労働力だけだ」と言い放ってはばからないアロヨ政権は、外国企業をフィリピンにつなぎとめるため、最低賃金制度を無視した賃下げや本工労働者の首切り,パート化を容認している。失業と労働条件の悪化によって、労働者は以前にもまして貧困に落とし込められている。一見華やかに見える都市部でも裏町に入ると、首を切られた本工たちや、低賃金パートに追いやられた労働者のスラム街が広がっている。スラムでは日に2食採れれば上出来。子どもを小学校に行かせるのも困難な状況下にある。
 「日本企業がフィリピンでこんなひどいことをしているのを、日本人は知っているのか」と、よく質問を受けた。ほとんどの日本人にとって、それは知っているか否かの以前に、無関心事といえるだろう。


抵抗する組合 弾圧には軍隊までが
 政府がいくら容認しようが、そのような外国企業の法律を無視した賃下げや首切りに対して、フィリピンの労働者はただ黙って甘んじているわけではない。KMUは「5月1日メーデ運動」という意味で、1980年に結成された。暴力団ばかりか、軍隊まで動員した組合弾圧にもめげず、労働者の権利と生活を守るため粘り強く闘っている労働組合の連合組織で、フィリピン全土に広がりつつある!
 私たちが訪れたバナナプランテーションでも、本工労働者が次々と解雇され、パート化が進められていた。これもグローバル化の所産であるが、フィリピン産と台湾産のバナナがこれまで圧倒していたアジア市場に南アメリカ産が参入し、バナナ相場は激しい競争に見舞われ、低落している。そのしわ寄せがプランテーションの労働者に押しつけられ、公然と最賃以下に賃下げされ、おまけに賃金不払いまで発生していた!
 そこでもそれに抵抗する労働組合に対して、コミュニスト掃討を理由に国軍が差し向けられ、日常的な弾圧体制がしかれていた。組合活動家は国軍に拉致されるのを恐れ、夜の出歩きや1人の行動を避けざるを得ない状況にある。この4月にも若い組合活動家が行方不明となり、それは国軍の仕業だと労働者たちは怒っていた。
 民衆の味方として登場したアロヨ大統領であったが、「この状況はマルコス時代と何ら変わることはない。アロヨはマルコスと同じだ」と、彼らは怒っていた。


貧しさの中で助け合い 支え合う人々
 フィリピンの人々がそんな貧しさの中で、助け合い支え合って生きている姿が印象的であった。英語の分からない私であるが、よく耳にするなあと思った言葉がある。それは「アソシエーション」と「ソリダリティ」だ。直訳的には「協同組合」と「連帯」ということなのであろうが、実際この言葉がどういう概念で使われているのかは分からなかったが、もっと拡がりと深い意味があるように感じた。
 スラムでは貧民のアソシエーションが組織されていたし、労働組合も単に労働問題だけに取り組むのではなく、地域での子どもや女性のアソシエーションを組織していた。キリスト教組織が、学校に行けないモスリム(イスラム教徒)の子どもたちの教室を作ったり、モスリムの貧農のアソシエーションも組織されていた。このようにして、厳しい貧困生活の中を、人々はお互い支え合いながら生き延びているのだった。そこにフィリピン民衆にとって大きな希望があるように、私は感じた。


合い言葉は「バーヤンナム」(統一戦線で行こうぜ)
 私たちが訪れたダバオでは、KMU(5月1日運動)に組織された労働組合が受け入れてくれた。それは労働組合といっても日本のそれとはかなり違っていて、単に労働条件や労働争議にとどまらず、明日をどうやって食べていくか、争議中の子供のことや婦人問題など、労働者の生活全般にわたってサポートしている。労働組合と協同組合と一緒にしたような組織だ。
 ダバオを起点にKMUのオルガナイザーとともにスラムやバナナプランテーションを訪れたが、その都度そこには案内する人や私たちの防衛隊が配置されていた。道路を走っているとどこからともなく彼らが現れ、我々のジープニーに乗り込んできた。みんな20代の若者たちだ。彼らは貧民協同組合やスラムの活動家であったり、地域の組合オルガナイザーであったりした。ダバオから来たメンバーと親しげに接していたのでお互い知り合いだと思っていたら、彼ら同士も初対面であったことを知ってびっくりした。そんな、組織も違う初対面の彼らを結び付けているのがバヤン(フィリピン民族統一戦線)だ。ひとつのグループから次のグループへと、緻密な連携は彼らの横へのつながりの広さと、互いの信頼関係の強さをよく示していた。
 バヤンは1985年、マルコス独裁政権を倒すためできた統一戦線で、労働者・農民・知識人など広範な諸組織で構成されている。マルコス打倒後も、今日までフィリピン人民の困難な闘いのなかで、その流れが脈々と続いてきたことをあらためて知った。そして、そこにフィリピン人民の闘いの蓄積と希望があるように思った。その質を私たちも学ばねばと思う。

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