本当に「害虫駆除」は必要なのか?
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兵庫・井上淳 |
2002年 7月5日
通巻 1115号
■首をかしげるポスター 今日はじめて、昼の散歩中に赤とんぼを見て、「やっと生き物に会えた」と救われた思いがした。 先日来の「思い」に、やっとピリオドを打てたからだ。 6月半ば過ぎのある土曜日、私の住む西宮市の街頭で、厚労省主催で業界3団体共催による「害虫駆除相談所」が開催されていた。 6月4日(ムシ)のゴロ合わせで、7月までを「害虫駆除月間」としているらしい、写真とポスター・相談コーナーの、大量の職員動員による大キャンペーンである。 しかし、そのキャンペーンのポスターを見て驚かされてしまった。ゴキブリやダニ等いわゆる「害虫」と称される虫がスプレーの噴射をうけて目を回してコロリコロリ退治される絵なのだが、なぜかその中に犬やリス(?)等動物も一緒に目を回しているのだ。 考えようによっては「殺虫剤の乱用は怖い」ことの強調かも知れないのだが、これでは「野性の小動物は害虫と一緒に殺してもいい」と子どもたちに受け取られかねないイラストだった。 ■「豊かな自然」に虫がいない 私の勤務地は、神戸市のベッドタウン「西神地区」にある。「株式会社神戸市」は、10年余り前に西北地区の山と森の自然を切り開き、大規模な流通センター地区を造成した。しかし、その後の「バブル」の崩壊と、あの「阪神・淡路大震災」の直撃をうけ、さらには長期の不況も重なって、現在も「K株式会社」の思惑を大きく外れて、トラックは行き交うも日中人影はほとんどなく、散歩してもなかなか人と対面することも少ないという、さんざんな稼働状況にあるセンターだ。別の意味では、バブル期の「ハコモノ行政負の遺産・神戸版」と言えるかもしれない。 一部に開発前の自然を残し、サッカー場等の施設が作られ、豊かな緑が続く歩道、いろいろな花が咲き乱れる公園なども各所に設けられており、確かに普通の都市部と比べたら、自然は豊かで環境は最高クラスと言えるかも知れない。 ここで働き始めて3ヵ月が経過する。だが通勤時と昼の散歩で気づいたことなのだが、「虫がどこにもいない」のだ。 歩道でも公園でも駐車場にも、這いつくばって動きまわるアリは見かけるのだが、この広大な地域で、ヘビやトカゲはもとよりカエルもいなければ、乱れ咲く花にチョウもミツバチも群がってこないのだ。 今、田植えのシーズンである。農薬漬けの田んぼにカエルやオタマジャクシ、ゲンゴロウ、アメンボウ等が見られなくなって久しく、時たま田舎に帰っても、幼いころ懸命に追ったオニヤンマやアゲハを見かけることができずに寂しい思いをするのと同じ感覚を、この殺虫剤で自然の中からさまざまな虫や昆虫を追い払って維持されているだろう「西神」の「不自然な自然」の中で覚えてしまうのである。 今回の、厚労省と業者団体がスクラムを組んで提携した「ムシの日」キャンペーンは、ハンセン氏病患者への非人間的隔離政策、薬害エイズ、医療過誤の連続、狂牛病・雪印をはじめとする止まることのない食品不正問題など、この国と行政が行い、犯してきた数々の誤りを、未だに行政が全く反省せず、業界と癒着している証明である。 通勤列車のつり革を握ることさえ嫌がる若い女性などの病的で極端な潔癖症候群、効果の全く不明な「抗菌製品」や「美白化粧品」などのために、私たちの身の回りには大量の訳のわからない薬品・薬剤の使用が増加している。 だが、そもそも自然の産物である人間の身体には、どんなに清潔であろうともさまざまな微生物が棲みついており、逆にそれがしっかり私たちの瑞々しい肌を守ってくれているのだ。流行に任せた化粧品の使用は、かえって美肌を痛めてしまう。 ■本当の自然を取り戻せ 言うまでもないことだが、私たち人間も、ヘビやトカゲ、カエル、そして小さな虫や昆虫、また微生物と同じ地球上に住む生命共同体であり、お互いに影響を与え合い共存し支え合う、貴重でかけがえのない「共生」の仲間同士なのだ。 家庭の微生物も、私たちにさまざまな作用を与えている。ダニといっても、その中にはかえって私たちの身体に有用な影響を与えているものも存在しているのではないだろうか? 殺虫剤やスプレーで、虫や昆虫を殺しまくり根絶するなどの行為は、殺虫剤メーカーを儲けさせることになるだけで、自らの身体を、豊かな自然を、このかけがえのない地球を自らの手で絞め殺すことに他ならない。 厚労省は、今後このような業者のためだけのキャンペーンは一切行うな!断固抗議する。そして神戸市は過剰な殺虫剤の使用を止め、「西神」に「本当の自然」を取り戻せ! しかし、私も白状しなければならない。この春頃よりパソコンのキーボードにまで「進出」してきたアリに悩まされ、そこで思わず今盛んにテレビCMで流されているアースの「アリの巣コロリ」を買い込み、何気なく設置した。 その「効果」は強力だった。次の日よりあれほど這い回っていたアリがパッタリ姿を見せなくなったのだ。その日より私は今日まで、「アリさんごめんなさい!」の贖罪の日々を過ごしている。 |
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人民新聞社
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