【書評】
 「悪魔のお前たちに人権はない!」
  ―学校に行けなかった『麻原彰晃』の子たち

手塚愛一郎・松井武・山際永三・深見史・共著
社会評論社/353ページ/2300円+税

評者・中嶋啓明(「人権と報道・連絡会」会員)

2002年 1月15日
通巻 1098号

『悪魔のお前たちに人権はない!』表紙『「オウム問題」が暴いた日本の民主主義=x

「周辺住民」による排斥運動
 大阪・吹田、名古屋、そして東京は世田谷、足立、杉並と、オウム真理教から改組したアレフの信者に対する行政の住民票不受理処分について、違法と断じる判決が一審段階で相次いでいる。転入届を自治体が受け付けないというのは、法律で想定さえもされていない、およそ考えられない違憲、違法な行為なのだから、あまりにも当然すぎる判決なのだ。にもかかわらず、このような違憲、違法な行為は行政によって今も平然と行われている、圧倒的な「世論」とそれを煽るマスコミの強力なバックアップによって。
 1998年、長野県内で始まった旧オウム真理教信者に対する「周辺住民」による排斥運動は、そのすさまじさを加速させ、一気に全国的に広がった。その中でも特に、「麻原彰晃の子」である3人の小学生に対して茨城県竜ヶ崎市が行った就学拒否処分は、前代未聞といえる特筆すべきものだろう。そして、その前代未聞の竜ヶ崎市の行為に呼応して、小学生にすぎない(!)子どもたちに対して、「地域住民」と称する人々は、拳を振り上げ罵倒を極め、いじめにいじめ抜いた。
 本書は、栃木県大田原市で、そしてその後の転居先の茨城県竜ヶ崎市でも、旧オウム真理教教組の麻原彰晃氏の子どもであるが故に公然と差別され、転入、就学を拒否された事件の発端から一応の「解決」までを、手塚愛一郎ら子どもたちの支援者3人と、子どもたちの法定代理人後見人を務めた弁護士の合計4人が記録したドキュメントだ。


日本の民主主義の底の浅さ
 本書のタイトルは、「はじめに」で筆者の1人、深見史が書く次のような経験に基づいている。
 「2000年8月27日、私たちは、茨城県竜ヶ崎市で1500人のデモ隊に包囲され、デモの標的とされた子どもたちに代わって、群衆のシュプレヒコールを浴びた。/悪魔のお前たちに人権はない!/小さな子どもを含む竜ヶ崎の住民から発せられたこの言葉を聞いた時、人間の善意、良心、やさしさへの信頼などが甘っちょろい感傷にすぎなかったことを、私たちは思い知らねばならなかった」
 深夜酔っぱらって住居の周りを徘徊して嬌声を上げ、住居の出入り口にマキビシを撒くなどの暴行を働きながら「オウムが怖い」とのたまう「地域住民」たち、プロパンガスの搬入などライフラインの切断を黙認する自治体。ふだん憲法擁護をうたい、人権尊重を叫ぶ側のほとんどが、そんな事態を見ようとせず、あるいは見ても、「オウム問題」は特別と尻込みし、あまつさえ排斥運動に加担する側にさえ回った。埼玉県吹上町では、「オウム施設」と言われた家の監視に、周辺事態法反対の署名に取り組んだ町会議員までが参加していた。
 支援者の1人で「人権と報道・連絡会」事務局長の山際永三は「なぜ子どもたちを支援するのか ―支援の論理とその実践」と題した文章で次のように書いている。
 「日本の民主主義の、底の浅さが痛感された。『オウム事件』は、さまざまな人々に立場の選択をせまり、日本人のリトマス試験紙の役割さえ果たすことになった」
 「立場の選択をせま」られ「リトマス試験紙」によって明らかにされた、これらの多くの人々の醜い行動、様相の数々は、本書の中で四人の執筆者によって、これでもかというほどに明らかにされている。


「口先だけの善意」に潜む差別
 マスコミは、先のような「地域住民」を「オウムの不安に怯える住民たち」と実態と正反対に描き出し、ひたすら映像を撮ろうと子どもたちを追いかけ回す。子どもたちの生活費の出所ばかりを問題にし続けるマスコミの記者に対し、松井弁護士は「『ケツの穴』までのぞくことを意味する」と痛烈に批判している。「理性と感情の狭間で揺れ動き」きながら最終的に子どもたちを受け入れ「解決」に導いたのは「地域住民」の側であると、一方的に殴った側を免責し美化して恥じないマスコミやミニコミ、子どもに向かって拳を振り上げ時には暴力を振るう「地域住民」らを「人間的な人たち」だと擁護する「人権派」の野党の国会議員たち。さらに……。
 本書によると、就学拒否処分について「解決」の見通しが明らかになったころになってやっと、それまで沈黙していた市民運動に関わる人々からも、自治体の違法行為に対して否定的な発言が聞かれるようになったという。だが、「『口先だけ』とはよく言ったもので、そのほとんどがまさに口先だけのものにすぎなかった。そして、『口先だけの善意』には、悪意むき出しの差別に勝るとも劣らぬ差別が潜んでいた」(「あとがき」、手塚)。その典型的な事例が、本書第三部に「資料」として収められている。
 アジア太平洋資料センターの機関誌『オルタ』は2000年7月、竜ヶ崎市議会議員による事実を歪曲したインタビューを載せた。これに対する手塚らの抗議に対して『オルタ』編集委員会は、この議員が「市議会副議長として議会の過半数意見をまとめなければならないという立場と(元オウム信者やその子どもたち)の『移転を認めない』『就学は認めない』のはおかしいという立場との間で苦しんだことを表明されている、という意味で排斥運動を積極的に進める立場ではないという理解です」と、見解を明らかにした。議会が全会一致(!)で子どもたちの排斥を決議した当時、この議員は議会の副議長だったのだ。『オルタ』の見解は、子どもたちへの差別を明らかにすることよりも、自らの責任をあいまいにし、議員を擁護することを優先したものというしかない。
 まさに手塚が言うとおり「おそらく問題が部落差別や朝鮮人差別であれば、『オルタ』はこのような弁明を自らの事実認識として表明することはなかったはずだ。あの子たちに対する差別についてこう言えたのは、紛れもなくあの子らが『麻原彰晃の子』だからなのだ」(「あとがき」)。「リトマス試験紙」は、隠しようもなく事の本質を暴き出した。暴かれたのは、皮相と言うしかない、この社会の民主主義理解の程度だ。
 「麻原彰晃の子」たちは、「人権と民主主義の踏み絵」(「はじめに」)として数多くの人々に踏まれ続けた。「しかし、彼らはそんなことのために生まれてきたのではない」(同)。彼らを差別し、踏みつけた側からは、一辺の謝罪もなく、「踏み絵」にさせられている状態はいまだ続いている。本書が、彼らを「踏み絵」から解放するきっかけになればと思う。

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