「連帯」結成宣言

2001年12月11日 「連帯」結成委員会

2001年 12月15日
通巻 1096号

1、私たちは、闘いの歴史を継承する

 21世紀が幕をあけた今、グローバル化のもとに、地球規模で貧富の格差がますます広がり続けています。世界の大多数の人々は、安全な水、食料、教育、医療など人間らしく生きる最低の条件をさえ欠いた状態に置かれています。グローバリズムは、企業利益第1の国際秩序を作り上げ、1人ひとりの人間の生命、暮らし、権利はないがしろにされています。一握りの巨大企業が世界の富を独占し、世代を超えて引き継ぐべき自然や人間の生命でさえ企業の目先の利益のための犠牲になっています。そして、アフリカや中東では、米国の巨大軍需産業が兵器を売りつけ、それを手にした貧しいもの同士が限られた資源をめぐって合い争う紛争が繰り返させられています。その中で、世界大戦より多くの人たちの命が奪われ続けています。
 さらには、1991年の湾岸戦争、1999年のNATOによるユーゴスラビア空爆、そして、さる10月7日に始まった米国によるアフガニスタン空爆と、米国を中心にした世界の強国による、自らの意に添わない国々や人々を強大な軍事力で叩き潰すという蛮行が、人権や反テロなどの「正義」の名のもとに行われています。1991年の湾岸戦争も今回のアフガン戦争も、その背後にはグローバル化という言葉の陰に石油利権がからみ、世界中の情報ルートも一部巨大メディアと強国の意思に独占コントロールされてしまい、世界の人々に真実を伝えるはずの回路は宣伝戦の道具になり、大多数の人々は情報の共有からも締め出されています。このまま進めば、人々の権利の何もかもが奪われ、世界は巨大企業と米国などの強国の意図の思うままに変えられてしまいます。
 アフガン戦争の陰に隠れて、アメリカに支援された世界の軍事大国イスラエルは、アフガン戦争のモデルを利用しながら、パレスチナ自治区に対してやりたい放題の軍事攻撃をかけています。1993年11月に「平和の実現」の希望として取り結ばれた「オスロ合意」は、パレスチナに多くの犠牲を強いながらも、少なくとも和平を目指していました。しかし、イスラエルと米国はそれすらも反故にして入植地を拡大し、入植者保護の名目で自治区内の人々に対して武器を向けることを「反テロ」として正当化しています。子供たちまでが、石礫で抵抗していますが、彼らの怒りと泣き声が世界に届けられることは稀です。
 かって、私たちは、1970年代初めに世界の革命を夢見て、アラブの地にたどり着きました。パレスチナの人々は、1948年の欧米諸国の合意によるイスラエル建国で、生まれ育った土地と家から追われ、着の身着のままで周辺諸国への難民として生きることを余儀なくされていました。欧米の一方的な支援で強大な軍事力でパレスチナ人を追い出し占領地を拡大し続けるイスラエルに対しては、国際世論は「テロリスト」と言いませんでした。パレスチナ人は、国際社会からも民族の地位を無視され、生きる希望も薄れていたとき、1972年5月30日、パレスチナ抵抗組織と日本人の3戦士が命をかけた連帯の証として、決死作戦のリッダ闘争が戦い抜かれました。
 その闘いは、日本では単なる「テロ行為」としてしか伝えられませんでした。しかし、抑圧と虐殺の最中にあった、パレスチナ解放闘争の正義と祖国を希求するアラブ・パレスチナの人々には新たな息吹を与えました。パレスチナの人々にとっては、闘えばイスラエルに勝てるのだと言う確信が、遠い極東アジアの地から来た若者が命を投げ出して共に戦ったことへの連帯感と共に沸き立ちました。
 それ以降、日本赤軍とパレスチナ諸勢力との間の強い絆が育てられ、1970年代には数々の共同闘争が実現しました。
 リッダ闘争は、同時に、連赤の悲惨な敗北に打ちのめされたかに見える日本の革命家たちへの激励のメッセージでもありました。その後、私たちは、幾多の戦いの経験を通しながら、日本の人々との闘いの距離がどんどん大きくなっていくことに危惧を抱いていきました。そして、1977年のリッダ闘争五周年にあたって、私たちは、自らの実践の総括として、日本に向けて「団結を求めて」というアピールを発しました。主要には「私たちは、日本の革命運動が敵との非妥協な思想性によって対峙し得ていない観念論議であることに反発し、自らは行動によって非妥協性を表現することを自己目的化する狭い世界観に立脚していたこと」をとらえかえし、「敗北や弱さをありのままに伝え、ありのままの克服をこそ共有していくことがもっとも大切なことと実感し…」、「自己批判と改造を通して世界をより創造的に実現することができること」、「あらゆる機会にあらゆる人々に団結を求める」というものでした。これは、それから現在に至るまで、私たちにとって、変わることのない思想的な立脚点です。
 1982年イスラエル軍によるレバノン侵略に際して、私たちもパレスチナ勢力と共に一時的な戦線の後退を経験しました。それ以降、南半球の国々にとって「失われた10年」とさえ言われる1980年代は、パレスチナ勢力や共に戦ってきた世界各地の革命勢力にとって、公然たる軍事活動の拠点を失っていく困難な時代が始まりました。私たちは、アラブの地で得た人民勝利の確信を日本へ返していくための思想的理論的な作業を開始しました。特に日本共産主義運動の総括から、人民の生活原理に依拠する党の原理、人民が主体となる革命における党の役割、などを考えてきました。それらの総括や考え方は、この新しい時代の人々の生きる闘いの中で、これからも検証され培われていく必要があるものだと考えています。
 1991年、私たちは、私たちの総括から得た綱領草案に基づいて日本の革命を担う主体をつくる闘いへと出発しました。それは、政治面だけではなく、経済・社会のあらゆる面で人民がその力を行使できるようにする民主主義の徹底を水路とする日本の変革の道をまとめたのです。そこから、日本の文献を研究し、日本の志を同じくする人たちとの出会いと共同を求めました。人民革命党と名称を定めはしましたが、それは、日本の変革に責任を果たそうという思いからであって、決して自分たちが日本の革命を指導し得る勢力だと考えたわけではありません。むしろ、私たちの考えは、党組織をつくる努力の中で他の組織とも出会い、総括を1つにしながら共同実践の中から組織を1つにしつつ党を建設するという考えでした。日本の変革を志す人々と出会い、共に実践して、その総括を蓄積することで発展させるための器として準備を開始したものです。

2、私たちは、これまでの敗北の総括を実践する

 希望に燃えた出発ではありましたが、この出発のときは、ソ連邦の崩壊とも同時期でした。ソ連をはじめとする社会主義諸国は、米国と世界を2分していたという客観的な位置それ自体によって多くの革命や民族解放闘争にとっての後衛となっていましたし、具体的な支援連帯活動も活発に行っていました。その崩壊の結果、1980年代に開始された米国の一元的な支配への道が完成され、世界中で革命組織がつぶされ、革命家が犯罪者として追われる時代になりました。私たち自身、実践的には、世界中の革命家たちと各地で生き延びる闘いを続けましたが、1995年3月ルーマニアでの被逮捕、1996年6月ペルーでの被逮捕、同年9月ネパールでの被逮捕と続き、1997年2月私たちの出生の地であり第2の故郷ともいえるレバノンで5名が逮捕される打撃を受け、同年11月にはボリビアでの逮捕と続きました。そして、昨2000年ついに重信同志が国内で逮捕されるという敗北を喫しました。
 私たちの闘いが世界各地の革命勢力との結びつきのなかにあった分、この一連の敗北は、私たちだけの敗北にとどまらず、他の多くの勢力にも影響をもたらしました。
 日本国内でも、丸岡同志の被逮捕時に大規模かつ恣意的な弾圧をもたらし、今回の重信同志の逮捕時には膨大な文書の押収を許してしまった結果、多くの友人や無関係の個人・団体にまで直接間接の迷惑を及ぼしました。また、他人名義の旅券を使うという過ちも犯してしまいました。
 この敗北と過ちについては、私たちの革命性の弱さとして、関連する人々に心から謝罪します。その上で、この敗北と過ちの根本にある、私たちの主張していることと実体の間にある剥れをとらえて、それを総括改造する闘いの第1歩を開始していきます。
 私たちは、1990年代の初めから重信同志の逮捕に至るまで、私たちの名称が警察の行うあらゆる弾圧の正当化に使われることに、人々への申し訳なさと自分へのやりきれなさを抱いてきました。また、同時に社会主義勢力が崩壊していくなかで、多くの革命勢力が時代に見合った組織形態への転換を求めてきたのと同じように、この10年間の主体的な準備状況の総括を経て、組織としての解散と再編を計画してきました。その矢先に、昨年の敗北がありました。そのために、重信同志の被逮捕の過程で迷惑をかけた人たちへの謝罪の心もこめて、時期を早めての解散を行うことに決めたのでした。その「解散宣言」の仕方についても多くの意見を受けましたが、それらは私たちの弱さを正すべく批判してくれたものとしてとらえて、今後の総括実践に生かしていきます。
 そこから、私たちの過ちと敗北への総括実践を開始していきます。

3、私たちは、連帯を求め、連帯に生きる

 私たちのこれまでの一連の敗北は、これまでのような非公然な活動の仕方では、私たちにはもはや革命活動を担いきれないということを現していました。もう一方では、レバノンから送還された同志などがいて、少なくても、日本の国内で合法的な活動に切り替える条件を生み出しました。そして、一連の敗北のなかでも、岡本同志がレバノンへの政治亡命を認められたことは大きな喜びであり、リッダ闘争の行動が示した国際連帯の絆は、いまだアラブの地で正義として生きていることを示してくれました。
 私たちは、これらの実情から総括実践としての、新たな闘いを出発させたいと考えます。
 企業利益第一のグローバリズムに対抗して、世界各地や日本国内で、人々の正義を求めるグローバルな行動が開始されています。メキシコのチアパスに寄せられた連帯、シアトルでのWTOに対する行動からジェノバでのG7サミットに対する大規模なデモに至るまでの一連の行動、そして今米国主導のアフガン戦争に対して世界各地で起こっている平和を求める運動、、、と、人々は国境を越えてグローバルに正義を求めて、連帯して戦っています。このままでは、地球上の全ての人々が生きていけないだけでなく、次の世代には、グローバリズムの「正義」のために人々が否応なく狩り出され、更に生きる条件さえ奪われていくだろうことが明らかになり始めています。このグローバリズムに対して、あらゆる分野で、人々の生きる権利を守る戦いが開始されています。今、その人々の闘いと国境を越えて連帯していくことが問われている時代だと思います。
 私たちは、リッダ闘争の先達が自らの命を賭して新しい連帯の闘いの質を築いたことに習い、30年間の革命共同への感謝として、そして何よりも私たちの自己批判実践として、困難ななかにあるパレスチナの人々の解放を求める闘いへの連帯を、この日本の地から再開することから出発していきます。
 日本の草の根で活動してきた人々とともに、世界と日本の変革を求めていく組織「連帯」を結成します。世界中の変革を求める人々、組織と連帯して共に闘うことを目指します。
 荒廃しつつある日本社会のなかで、人と人との連帯を築くことを何よりも大切にしていく仕方が問われているし、今、それを実行すべきだと考えるからです。
 私たちの自己批判として、そのための具体的な活動を開始し、多くの人たちと出会い学び、連帯を求め合って、そのなかから日本の変革の道筋、問われている変革運動のありようを考えていきたいからです。
 私たちは、イスラエルの砲火に日々さらされているパレスチナとちがって、日本では徹底して平和を求める仕方こそが、正義の実現への道であると考えるからです。
 私たちは、ここに、軍事力によらない変革を、民主主義の徹底を水路として目指すことを重ねて表明します。
 そして、あらゆる領域での民主主義の徹底の実現の鍵は、人々が主権権力を行使できるのに適した単位である地域自治の実現であると考えます。私たちが最も戦略的に重要な環として考えてきた陣地戦の観点の実現のためにも、人々の暮らす地域での力を蓄えていくことを目指し続けます。
 私たちは、「間違っても正していくことができる」ことこそが、私たちの確信の中心だと考えてきました。幾たび敗北しても、それを次の勝利の土台へと鍛えて転じるために、私たちは、自らの在りかたをただしながら進んでいきます。
 そして、私たちは、リッダ闘争を闘った同志たちが示した自己犠牲の思想、企業利益第一のグローバリズムに対して人を大切にする人間主義、国境を越えて結び合う連帯の思想を、これまでの経験の総括のなかからしっかりと握り締めていきます。


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