川柳時評

資本主義 超えねば未来などはない

根底を変える力を問うて 冬

乱鬼龍

2001年 11月25日
通巻 1094号

 9・11事件以降の、いわゆるテロ不況≠ノ、また、「狂牛病(海綿状脳症)」問題の関連業界への影響による不況と、それでなくても「平成大不況」の中で、新聞を開けば「ゼネコン、銀行、生保…の危機」、「○○社で1万人、△△で1万5000人のリストラ、希望退職」「失業率2ケタ台」「険しい中高年の再就職…」といったニュースが毎日毎日あふれているといった状況。
 そして、そうした時代状況の中での、自殺者、ホームレス、あるいはさまざまなストレスを抱えた日々の中での、精神的な面でのケアを要する病気の増加、等々。
 また、そうしたことの家庭や子どもたちへの波及としての「高校中退」「進学断念」といったことなど、文字通り、実にさまざまな「悲劇」が、「不幸」が、今人々の日々の暮らしの上に、重い石の如くのしかかってきている。
 そうした中で人々は、ささやかな「生活防衛」として「消費」を控えるとか「レジャー」とか「教養、娯楽」とかいったものはできるだけ切り詰めるとか、考えられることはそれぞれが工夫し節約せざるを得ない状況に追い込まれている。それでも自分自身の明日の職はあるか、介護保健は、年金は、老後は、どうなるのか、どうするのか…といった不安や不満でいっぱいだというのも、もう一つの厳しい現実の日々であるだろう。
 では、こうした中で、私たちは、一体全体どうしたらいいのだろろう。どうしたら私たちに活路があり、希望があり展望があると言えるだろうか。
 そんなことを考えたってどうにもならない、自分ひとりの力ぐらいでは、到底だめだ…というようなあきらめムード∞虚無感≠ェ一方で大きく人々を覆っているのも事実だろう。
 だが一方で、ますます深まり激化する倒産、失業、貧困化という時代の嵐の中であきらめてばかりいては、もはやどうにもならない!という思いを、人々が今、抱き始めているというのも、もう一方の事実だと私は思う。そうした、あきらめないぞという人たちの闘いの事例として全国各地の「地域ユニオン」の活動や、いわゆる「野宿者」の人たちの闘いなどは、そうしたものとして受け止められるだろう。
 だが今、米英、そして日本までもが参戦≠オて行われているアフガニスタンへの報復戦争≠ヘ、一方ではアメリカを中心とするグローバリゼーションという貧しい人々にとっては、より破壊的、破滅的な帝国主義に対する文字通り生死を賭した闘いにならざるを得ないことであって、これはアフガニスタンやイスラム圏の人々だけの問題ではなく全世界の圧倒的多数を占める貧しい人々の共通する問題でもあり、戦いでもある。そのような意味において今やアメリカのグローバリゼーションを先頭とする側に立つのか、それに抗する人々の側に立つのか…ということが、全世界史的規模で、今この同時代を生きる全ての地球人1人ひとりに問われていると言えるだろう。
 日本の現在の「不況」「リストラ」「構造改革」といったこともそうした世界の荒波≠フ1つであることは自明である。
 私たち日本の労働者人民に今後の活路と展望があるとしたら、世界の今日を困窮する人々の側に立ち、連帯しようと志すことによって始まる。自らの生き方や暮らし方の自己変革なども含めた方向性にあると思う。そうした中で、私たちは否応なく私たちの今の「豊かさ」の根源を突き詰めざるを得なくなるだろうし「資本主義」というものの矛盾や限界に改めて気づき、確認し、もはや「資本主義」では世界の貧しい人々も、そして地球そのものすら救えないところにまで、すでに来ている、ということを確認するだろう。
 時代はもはや、そのような根底性と長期性そして世界性をもって激動している。
 「失業反対」「派兵反対」「小泉内閣打倒」といった闘いを「資本主義」社会そのものの根底的打倒と変革という射程≠ノまで伸ばし、しっかりあらゆる事象を見据え、そのことと結びつけながら、考え行動しなければ私たちに活路はない冬の時代≠セと思う。

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人民新聞社

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