すべてを貫くバックボーンとして
宗教が大きな働きをしているのではないか

林 弘士

2001年 10月25日
通巻 1091号

 火曜日の深夜、NHKテレビのニュースを見ていると突然アナウンサーが「ちょっとお待ち下さい。アメリカでビルに飛行機がぶつかった様子です。今CNNテレビが実況放送をしています」と言って画面はCNNに切り替わった。高層ビルの上部から黒煙が出ていた。こうならないように日本でも高い建築物の上には警告灯がついているのに、アメリカともあろうものが何をしているのかと一瞬いぶかしく思った。すると画面の右からかなり大きい飛行機が飛んできて、その燃えているビルの後ろに隠れた。当然左に出てくると思った。出てくるには出てきたが、火の玉が出てきた。「ツインビルのもう1つにも飛行機がぶつかったようです」アナウンサーは何がどうなっているのか分からんといった風に続けた。
 小生はすぐ分かった。「あっ、カミカゼ特攻隊や」と。
 中東でイスラエル(ユダヤ人)とパレスチナ(アラブ人)の争いが最近また激化しており、前者のミサイル攻撃によって後者の有力リーダーの1人が殺された。そしてユダヤ人を多く抱えているアメリカは絶えず前者を擁護している。
 いつかはこういうことが起こるだろうと思っていた。
 かくて世界最大のツインビル「世界貿易センタービル」は地上から消え失せた。国防総省も攻撃を受けた。
 「匹夫(ひっぷ)も志を奪うべからず(たとえ匹夫であっても、志の確固としたものがあるならば、何人といえどもそれを動かすことはできない)」(広辞苑)という言葉が「論語」にある。「窮鼠猫を噛む」といったことわざもある。
 今から56〜7年前の日本もそうだったと思う。物量にまさるアメリカに追い詰められ「神風特攻隊」を沖縄戦に投入した。あのときの日本人のほとんどは国家神道に基づき、神国日本が負けるはずがない、元寇のときのような神風が必ず吹くと信じていた。
 今回の突入者たちはイスラム教徒であり、ジハード(聖戦)で死ねば天国にいけると信じているらしい。
 もちろん根本には、人種の違いに基づく言語、風俗習慣の相違、さらにはそこから派生する経済的格差があるのだろうが、それらすべてをつらぬくバックボーンとしての宗教が大きな働きをしているに違いない。
 それでは、宗教とは何だろうか?
 人間がその知能をいかに誇ろうとも、いつ死ぬかもしれない果敢ない存在であることは言うまでもない。人間以外の動物は死に対抗する頭脳も手段も持っていない。したがって、彼らは従順に従うだけである。
 人間は抵抗する。秦の始皇帝の時代から不老長寿の秘薬を求め、ついには臓器移植まで行うようになった。
 宗教も死に対する人間の抵抗もしくは受容の心理的手段だと思う。したがって「イワシの頭も信心から」と言われるように時代、地方によって信仰対象も異なってくる。
 ユダヤ教からキリスト教やイスラム教が生まれた。ということは、おじいさんと親父が息子と争っているようなものだ。外部の者にとってはさっぱり分からん。
 ユダヤ人は優秀な民族だと思う。なにせキリストが出ているし、現代においてもアインシュタインをはじめ多数の政治家、実業家、芸術家を輩出している。アメリカのジャーナリズムもユダヤ人がおさえているようだ。
 「ベニスの商人」に描かれているようなキリスト教徒による迫害、ナチスによるホロコースト(皆殺し)や「アンネの日記」を知って小生もはじめはユダヤ人に同情を寄せた。しかしイスラエル建国後のユダヤ人のアラブ人に対する苛酷な扱いを知ってから考えが変わった。人間というものは、貧しくていじめられている時には善良で勤勉だが、ひとたび金持ちになり、いじめる立場になると残酷になる動物らしい。
 厳しい中東の自然環境の中から生まれた3大宗教の厳しさに比べ、自然豊かなアジアから生じた仏教には多少「やさしさ」があるようだ。なにせ釈迦族の王子に生まれた釈迦自身、一族が皆殺しされながらも、決して「報復」などはしなかったのだから。
 人間もしくは人間社会中心の3大宗教とは違い、「殺生戒」であらゆる生物の殺生をいましめている点も地球環境が危機に陥っている21世紀にふさわしい宗教と言えるかも知れない。
 しかし幸か不幸か、お釈迦さんの唱えたものは「色即是空」であり、「諸行無常」であり、哲学的には正しいかも知れないが、我々欲で固まった俗人には高尚すぎて、したがってなかなか世界的に広まらないのが残念である。

 

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