反戦ムーブメントへのとりとめのない雑感

小比類巻 新

2001年 10月25日
通巻 1091号

 とうとうブッシュが「報復」の戦争を始めた。彼の強大なスポンサーでもある石油業界の利権を守るためのものであり、軍需産業・CIAが欲してやまなかった戦争を。
 全国各地で様々な人々がこの戦争に反対の行動を繰り広げている。人民新聞にも様々な情報が寄せらている。(反戦に限らないが)運動のこのような高揚が見られるのは、91年の湾岸戦争以来のことになるだろうか。
 ただ感じられるのは、湾岸戦争の時はふだんは「運動」も何も関わりのないような人たちが、それぞれの居場所でいろんな創意工夫を凝らして「戦争反対」を訴えていたが、今回はそれほどの広がり(人数だけではなく広範な展開という意味でも)が見られないことだ。湾岸戦争以降、紛争≠ニ呼ばれる戦乱が、コソボでソマリアでチェチェンでパレスチナで─と繰り返されているのに疲れて何も感じなくなってしまったのだろうか。
 話に聞くところでは、集会・デモに参加する若者の姿が少ないそうだ。私自身が見た範囲では特にそれを感じることはなかった。それもまた広範な広がりに乏しいという前述の事柄にも重なることであろう。こういったものを時代の転換点とか閉塞感といっていいものかは分からない。
 こういった反戦のムーブメントに参加する若者たちは、これまでの枠組みや発想にとらわれず、大胆な行動力と創造性を見せている。ただ、自分たちが行っている「運動」─この場合は反戦─の内実を深く掘り下げることを、あからさまに敬遠しているように見受けられた。今回の戦争の背景の話をしていると〈うるさい人だナ〜〉というように煙たがられたということも聞いた。
 「とにかくやらなきゃ始まらないヨ」、「考えるのはあとでいいでショ」ってそれを全否定はしないけれど、どういう背景で起こった戦争なのか、何がどう問題なのか ということを意識していかないと、空回りに終わりはしないか。今度の「報復戦争」に至った背景、タリバン(同時多発テロに関係があるのか断言はできない)やイスラーム原理主義をどう考えたらよいのか、テロリズムをどう考えるのか、こういった議論や思考を停止しているのはなぜなのだろう。
 かつての「(革命)運動」は、こういった平和擁護闘争から直接に国家権力との闘争を目指すこと、さらに日本―世界の社会主義革命を目指した。今の若者にとっては何よりも、その課程で出た、官僚的な組織化や硬直化した「指導」、あるいは不毛な内ゲバなどへの反発・嫌悪が大きいのだろうけれど…。革命だ社会主義だは置くにしても、戦争の背景、本質を捉えることは大事なことだ。自戒も込めてそう思う。
 かつてさまざまな闘争・運動の経験を積んできた者と、行動力と創造性あふれる若者がコンビを組んで新しいことを創造できれば、これほど頼もしいことはないと思うのだが。

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人民新聞社

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