10/21関西反戦行動に参加して |
多様性もあって
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2001年 10月25日
通巻 1091号
9・11以降、街でデモやビラ撒きをすると、いろんな意見に出会う。 ケイタイでの交信に忙しそうな若い人を除く殆どの女性が「戦争反対」に共感を示すのに比べ、おじさんの反応が悪い。「やられたんやから、やり返したいやろ、そら」というのから「景気悪いねんから、戦争やったらましになってええやんけ」「どうせええことなんもないねんから戦争賛成」まで、報復戦争支持や日本の参戦支持のさまざまな意見の内に、社会に対する彼らのいい知れない深い絶望を見たりもするのだが、あたしはそんな絶望と心中するのはご免だ…。 経済的利害をかけてアメリカンスタンダードを押しつけ、終わりのない戦争に各国を巻き込んだばかりでなく、片方の手でアフガニスタンの人々を殺し、もう片方の札束を握った手で頬を張るがごとくに恥もなく食糧を投下してみせるブッシュのうそっぱちなど、どこに「正義」があるのか。また、テロ特措法ゴリ押しでその尻にぶらさがろうとする小泉内閣の「後方支援」という名の参戦行為は許せないし、軍服装備で体裁だけとりつくろう「難民救済」など、あらゆる場面で敵か味方かの論理にさらされる戦場では難民の力にすらなるはずもなく、国内外からの批判を受け早晩破綻するのは自明である。
9月11日のアメリカでの光景が物語ったように、今、戦場はアフガンだけではなく、「後方」であるはずの沖縄や戦争協力する日本の首都=東京、さらには各所の原発施設であるかもしれないという、これまでにない無定型の戦争に突入する可能性を呈してきている。けれど、自らを省みないブッシュ政権とアジア・アラブの友人に抑圧的介入を行う小泉内閣に対して確実なピンポイント攻撃がもし可能だとしても、暴力や武力による解決に状況を打開する力はなかったことを、私たちは20世紀の歴史から学ぶべきだと思う。もう誰も人を殺してはいけない。最もラディカル(根源的)な方針は、共に生きていきたい人々と連帯して「反戦・平和」の大衆的な陣営をねばり強く拡げていくことである。 (大阪・下村純子) |
人民新聞社
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