空々しい小泉首相の特攻隊賛美
彼らは遺書に自分の本心を書けたのか

渡辺雄三(渡辺政治経済研究所)

2001年 8月25日
通巻 1085号

 8月13日に靖国神社に参拝した小泉首相はその理由として、「特攻隊の遺書を読んで感激した。純粋に祖国を思って自分の身を捧げた若者たちに追悼のまことを捧げたい」と語っています。また、最近、若い世代の著者による特攻隊をテーマにした本が出版されていますが、これもこのような小泉首相の考えと共通したものがあります。
 敗戦のとき、私は14歳でした。小泉首相は4歳です。この時代、例え遺書といえども自分の本当の心情を述べることなど許されない悲しい時代でした。彼に「悲しい時代」の実感がないのは当然だと言う人がいるでしょうが、一国のリーダーとしての地位にある者にそれが許されるでしょうか。私は「小泉『改革』はペテンだ」と言ってきましたが、日本のリーダーである彼の言葉の虚ろさにあらためて慄然とせざるをえません。
 戦前「戦陣訓」というものがありました。これは軍人が戦場に向かうに当たっての心構えを説いたもので、末端の兵士に至るまでその文章を繰り返し繰り返し教えられ、頭にたたき込まれて戦地に赴いたものでした。その一節に次の文章があります。「生きて虜囚の辱めを受けること勿かれ」。これは捕虜になる前に自決せよとの意味です。
 特攻隊員は本人の自発的な意思によってなったかのように小泉首相は思っているのですが、戦前はそんな生易しい社会ではありませんでした。地上戦が繰り広げられた沖縄で米軍の攻撃を受け部隊が撤退しなければならなくなったとき、身動きできない負傷兵は置き去りにされました。そのとき、彼らに渡されたのは手榴弾1つでした。米兵に捕まる前にそれで自殺せよとの命令でした。こうして、戦前は自分の命さえ自分の意思のままに自由にできませんでした。
 後ろから匕首でいつ仲間から刺されるのか分からない、厳しい相互監視という恐怖の中で暮らしていたのが軍隊であり、これは敗戦の色が濃くなるとともに民間の中にも浸透していきます。特に戦場となった沖縄では、そのために親が自分の子を手にかけるという悲劇がおこり、いまなお沖縄県民の心には深い傷痕としてそれが残されています。
 したがって、ある部隊に特攻隊の命令が下ったとき、指揮官は全て隊員を集めて特攻隊に応募するかどうか個人の意思を署名などで表明するよう求めますが、その命令を拒否できるような雰囲気などあろうはずがありませんでした。これが戦前の集団主義日本の極致でした。
 これを小泉首相のように「純真な若者の国を思う気持ちの表れ」などと賛美することは、自殺した彼らに対する冒涜ではないでしょうか。彼らの美しい言葉で書かれた遺書の背後にあるものをくみ取ることのできない彼の思慮の浅はかさ、これは一国のリーダーとして相応しい人物とはとても言えません。
 こんな彼の思慮の浅はかさ、虚ろさが中国人、韓国人など戦争被害国の人々の怒りを呼んでいます。
 では、捕虜となった日本人は戦後55年間、どのように過ごしてきたのでしょうか。13日夜、 で日本文学研究者ドナルド・キーンの番組が放映されました。日本語を学んだ彼は戦争のために沖縄に派遣され、そこで捕虜となった日本兵の尋問に当たります。その時に尋問した人たちを55年後にあらためて訪問したのがこの番組です。
 彼らのほとんどは捕虜となった経歴を隠し、ひっそりと目立たないようにして55年間暮らしていました。戦後、軍隊仲間で戦友会を作り集まるのが常ですが、彼らはその集まりにも顔を出していませんでした。
 戦後55年たった今もなお「生きて虜囚の辱めを受けること勿かれ」との戦陣訓が、彼らを拘束しているのです。これは彼らの責任ではありません。戦後の政治、社会の責任です。この心理的抑圧から彼らを解放することこそが、小泉首相が掲げる「改革」であるにもかかわらず、彼はこれに対して一顧だにしようとしていません。
 前日、テレビで鹿児島県知覽町にある特攻隊に関する資料館のことを報じていました。この中で、出撃前夜の特攻隊員が仲間と肩を並べている写真を指して、地元の住民は彼らを「明るく曇りのない表情」と説明していましたが、私から見るなら心から解放された個の表現とは程遠いものでした。こんな表情は、伝統的な日本的共同体の中で同調しようとして個性を隠している表情に過ぎません。過疎の町、知覽町の住民が未だに日本的共同体の中に個を埋没させて暮らしていこうとしている人たちであり、小泉流の特攻隊賛美はこのような心情に依拠したものにほかなりません。
 伝統的な日本的共同体が解体の危機に瀕している今、私たち日本人に求められているのは、もっと共同体から自立した個性に基づいた日本的共同体の再編成です。この渦中にあるのが現在の日本であり、小泉「改革」はこれを押し戻そうとしているに過ぎません。

「時評短評」トップへ戻る

人民新聞社

このページは更新終了しております。最新版は新ページに移動済みです。