ドキュメント “都庁エレベーター前、緊迫の攻防”

戦争賛美の教科書採択を許すな!
密室の都教委採択に抗議の嵐!

東京都障害児学校労働組合員Y・K 

2001年 8月15日
通巻 1084号

 8月7日、東京都教育委員会は、ものものしい数の警備員に守られた密室審議の中で、病弱養護学校(久留米養護、久留米養護清瀬分教室、片浜養護)と青鳥養護梅ヶ丘分教室に、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)編集の扶桑社版中学校歴史教科書と公民教科書の採択を決定した。歴史を逆行させようとする暴挙である。

■採択の背景にあるもの

 かえすがえすも悔しいが、まさか障害児学校の教科書をねらうとは思っていなかったというのが、本音である。それはこちらの甘さ以外の何ものでもないが、考えてみれば彼らは何の躊躇もなく、「つくる会」の教科書採択を既定方針通りに行ったということになるのだろう。
 昨年7月、石原知事は、行政職の一局長に過ぎなかった教育長のポストを特別職にし、現在の横山洋吉教育長を教育委員兼任で迎え入れた。いわゆる石原版道徳教育、「心の東京革命」のゴーサインだ。その根本にあるのは、「第三国人」発言や障害者に対する「人格の有無」発言など、石原の一連の言動に見られるような排外主義、優生思想に裏打ちされた競争原理の導入と、地域ぐるみの国家主義を貫徹する教育の監視・管理体制である。そして今年4月、東京都の教育目標から憲法・教育基本法の文字が突如として消えた。それに続く今回の「つくる会」教科書の採択である。
 これに先立ち4月、「つくる会」の発足当時の賛同人でもあった石原は、都庁に300人の教育委員を集めて、「教科書採択は、自分たちの責任で行うこと。それができなければこの国は滅んでしまう!」と、激しい口調で檄を飛ばしたといわれている。公立の小中学校の教科書採択は区市町村の教育委員会に権限があり、都の権限外のものである。都立の小中学校は存在しないために、都の権限が及ぶのは盲・ろう・養学校しかない。「何が何でもそこだけは都知事である自分の権限でやる、だからおまえたちもそれぞれの区市町村でやれ!」というのが石原の本音だろうし、その実績をつくることで全国の公立学校に採択の突破口をつくるというのが、彼の描いたシナリオだったのだろう。それが今回の暴挙=採択劇の背景にあったものである。
 養護学校の中では検定教科書はほとんど使われていないのが現実で、学校教育法で決められているいわゆる107条図書といわれる一般本や自主教材を使って授業をしている。こうした現実に私たちの中でも議論があるが、都教委がそうした実態を知らないということはあり得ない。私たちにいわせれば、今回の採択劇は盲・ろう・養護学校の分離別学教育体制を巧妙に利用した石原の政治的策動以外の何ものでもない。

■都庁に鳴り響いた抗議の声

 7日早朝から都庁前にはたくさんの人が集まり、口々に石原都知事と教育委員に対し怒りの声を上げていた。7月26日の東京都教育委員会で、盲・ろう・養護学校中学部の公民と歴史の教科書に「つくる会」の本を全国に先駆けて採択しようとしているというニュースが突然飛び込んできて、わずか1週間、関東各地からメールや口コミで本当にたくさんの人々が集まってきていた。
 私たちは、9時半からの委員会の傍聴を求めて30階に上ろうと庁内に入ったが、エレベーター前は、机と警備員でしっかりと阻止線がはられ、上には登らせない構えだった。要請書を握りしめた市民団体の代表が、教育委員に話をするように求めたが、教育委員会の職員は、姿を現したものの話を聞くわけでもなく、背中を見せて立ち続けるだけだった。
 私たちは、何人かをその場に残し、市民運動の人たちと共にエレベーターを乗り継ぎながら30階に向かった。しかし、30階のエレベーターホール前も、都の指導主事や教育委員会関係の職員たちと警備員の分厚いブロックがしかれていた。
 そこにぞくぞくと国立や杉並、中野といったところで「つくる会」の教科書採択を阻止してきた人たちも集まり、100人ほどにも膨れあがった。その中には、教科書問題に真剣に取り組んできている市議会議員や、区議会議員・都議会議員の姿もあったが、彼らでさえもブロックされ、傍聴はもちろん審議している部屋の前にさえも行き着けない状況を作り出していた。

■石原の独裁的手法を容認する社会

 あまりのことに、せめて要請書を手渡したいと告げると、ようやく課長(補佐)が出てきて、いくつかの要請書を議員のみがほんの1メートルぐらいブロックの中にはいることを許され、手渡すことができただけだった。ブロックされた人の中には、つえをつきながらようやく来ていた人もいたにもかかわらず、トイレにも行けない状況に、あちこちから、「中に入れろ!」、「教育委員は出てきて話しを聞きなさいよ!」という声が飛び交った。時折、テレビカメラや三脚を持った報道関係者らが、するするとブロックをすり抜けて会場に入っていくのを、私たちは歯がゆい気持ちで見守るしかなかった。
 後ろの方では「あんたたちは北朝鮮の強制連行をどう思っているのよ」とひとりでヤジをとばす人がいて、後ろの方でもみ合いが起きそうになっていた。その人は、教科書問題や慰安婦問題の集会を開くと必ず表れる。先日も横浜で開かれていたM氏の講演会で騒ぎを引き起こし、中止に追い込んだ張本人らしい。彼女らは、住所氏名が明らかになった市民運動家への日常的な嫌がらせをしているという。彼女は、大きな声で言いたいことを言い放ち、こちらの人々からの抗議の視線にしばらくして姿を消していった。
 いくつもの市民団体が、ただ集まって座り込みを続けても仕方がないので、今回の教科書採択に直接関わりのある私たちが中心になって、異例の緊急抗議集会を始めることにした。初めに全員でシュプレヒコールを叫んだ。
 「教育委員会は、戦争賛美の教科書を採択するな!」「教育委員会は都民の声を聞けー!」、「教育委員会を公開しろー!」、「つくる会の教科書を採択するなー!」。みんなの声は、下の階にいてもエレベーターの中にいても聞こえてくるほどのものだった。密室で会議をしている教育委員たちの耳にも届いてほしいという気持ちを込めて、私たちは叫んだ。
 その後、整然と各地の取り組みの報告がなされ、活動の共有をすることができた。
 11時半すぎ、報道のクルーたちがあわてて会場の方に入り込んで来た。記者会見が開かれるということだった。教育委員会の報道官が審議結果を私たちに持ってきた。恐れていたことが現実となった。
 午後、市民運動6団体の緊急記者会見を開き、私たちの抗議の声も「エレベーター前の緊迫の攻防」としてテレビや新聞にも取り上げられた。反対する者の声を少しでも社会に伝えていこうという行動が組合だけでなく各地の市民団体と一緒に作れたことは、これからの運動を進める上で一つの前進になったが、これからのことを考えると背筋が寒くなってしまう。石原の独裁的な手法を容認する社会風潮の中で、それにノーを唱える私たちの行動の意味は限りなく重い。
◇  ◇  ◇
■ 追 記
 翌朝の1面を飾ったのは扶桑社が入ったビルへの時限発火装置によるぼや騒ぎだった。「つくる会」の教科書採択に反対する一部の過激派の犯行ではないかとの報道だった。それが本当なら、自分たちの首を絞め、運動を壊していくものにしかならない。
 しかし、私の脳裏をよぎったのは、「つくる会」教科書に反対する者のイメージを反社会的なものに変質させていくための陰謀ではないかということだった。どうしてもそう思えるのだが、どうだろう
  この後も正式決定する8月15日に向け、採択取り消し要求の運動が続けられている。

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