歴史について

林 弘士

2001年 8月15日
通巻 1084号

 子供の頃から歴史は好きだった。
 尋常小学校(のちの国民学校)には地理と並んで国史があったし、国語、修身などの教科書にも歴史上の人物がよく出てきた。文部省唱歌でも同様だった。今でも唱うことができる。
 国史の教科書を開けると、まず「御神勅」がのっていた。天照大神が、孫のニニギノミコトの豊芦原中つ国への降臨に際して与えたという言葉だ。次のページをめくると124代の天皇の名前がずらっと並んでおり、それをまず憶えるのが宿題だった。
 古代史といっても、今から思うと「古事記」や「日本書紀」にのっている神話そのままだった。しかし幼い子供にとっては「イナバの白兎」や「神武東征」の話は結構おもしろかった。
 高学年になったとき、手塚一夫「完璧国史」とかいうぶ厚い参考書を買った。1円50銭だったと思う。今なら1500円くらいだろうか。その後、「大東亜戦争」が激しくなるにつれ、右翼理論家・大川周明の「米英東亜侵略史」なども買って読んだ。なるほどと思った。そして空襲、敗戦。世の中は180度変わった。「だまされた」と思った。
 歴史とはなんだろう?
 個人に履歴書や自分史があるように、国民や民族や人類にも過去の活動の記録がある。ただ、言うまでもないことだが、すべての事実を記録するわけにはいかない。当然、取捨選択しなければならない。その際、何を取り上げて何を棄てるか  中国では、王朝が変わるたびに歴史が創られた。もちろん前王朝の亡びたゆえんと現王朝の正統性を強調するためだ。前述の「古事記」や「日本書紀」も同様の動機で編纂されたと推測されている。
 最近「新しい歴史教科書をつくる会」とかいうものができ、中国や韓国をも巻き込んだ国際問題になろうとしている。年号や事件だけを記述した無味乾燥な現行教科書や、それらの記憶だけを問う受験勉強が良いとは決して思わない。司馬遼太郎ほどでなくても、もう少し魅力的な教科書を歴史学者や教育者は創るべきだ。しかし、だからと言って、過去の皇国史観へ180度回れ右して「新しい」とはちゃんちゃらおかしいと思う。
 妹の姑が亡くなり、きのう葬儀があった。焼き場からお骨が帰ってくるのを待ちながら、親族同士お昼をいただきながら話し合った。小生の隣の男性は定年を迎えて3年目と言っていたから、小生よりは6才若いのだろう。「特攻隊員は本当に天皇陛下のためと思って死んでいったんでしょうか?最後はやはり命が惜しいと思ったんではないでしょうか?」と聞いてきた。
 小生は答えた。「そんなことはないですよ。子供の頃からずっと神国日本と教えられてきたら誰でもああなりますよ」。向かいの席に座っていた70才過ぎの内科医や精神科医をしている親戚たちも同意した。正直言って、あと5年か永くて10年の命と思えば、「あとは野となれ山となれ」の心境に近い。
 しかしみすみす60年前の愚行に戻っていこうとする後輩たちを見ていると、残念でならない。所詮人間も動物であり、それだけの存在に過ぎないと言ってしまえばそれまでだが……。
 ドイツの前大統領ヴァイツゼッカーは、敗戦40周年にあたり、議会で「荒れ野の40年」という演説をした。その中にこういう一節がある。
 「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」
 ナチス・ドイツは確かにひどいことをした。しかし現在、こういう演説のできるリーダーを持っているドイツ人は幸せと言わねばならないだろう。

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人民新聞社

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