水俣病関西訴訟 |
水俣病関西訴訟の
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2001年 7月25日
通巻 1083号
2001年4月27日、大阪高等裁判所(民事第3部・岡部崇明裁判長)は、国と熊本県が水俣病被害を放置・拡大したことに対する賠償責任を認めました。これは水俣病の行政責任について下された初の高裁判決です。1950〜60年代、行政が意図的に対策を怠り続けた結果、今なおメチル水銀に被曝した患者の総数が不明なほどにまで水俣病被害が広がってしまいましたが、高裁判決は、その一端を指摘したものにほかなりません。1990年代初頭、熊本や京都の地裁で行政責任が3度判示されても「上級審の判断を仰ぎたい」との理由で患者との和解交渉を拒否してきた国は、その論理からみても高裁判決に従うべきところでした。しかし、患者の訴えも空しくあなたたちは上告しました。 そして、国と熊本県が上告した同じ5月11日、ハンセン病訴訟の熊本地裁判決が下されました。これも患者に対する行政責任を指弾したものですが、この判決では首相が官僚の抵抗を排して控訴を断念し、患者に謝罪し賠償を行ったことが記憶に新しいところです。それだけに、なぜ水俣病では同じ判断ができなかったのか、残念でなりません。 環境省は上告理由を「1995年に行った政府解決(政治決着)が重いから」と弁明しています。しかし被告の加害企業チッソは「政府解決時と同様の精神に立ち、紛争の早期解決のために」と述べて上告を断念しました。さらに、政府解決を受諾した主要な患者団体もそれぞれに「関西訴訟の上告を断念せよ」との声を挙げているのです。関西訴訟提訴以来、亡くなった原告21名、そして原告患者の平均年齢は70歳をこえています。原告が判決内容に不満を持ちつつも上告断念を表明したことの重さを考えて下さい。紛争状態を長引かせているのは、国と熊本県だけです。自らに誤りはないという「行政の無謬性」への開き直りは、すべての水俣病被害者の願いや全国の世論と正面から対立するものです。そして上告それ自体が新たな加害行為です。 さらに、この上告は、環境重視と政治主導を掲げる小泉内閣、福祉を専門とする熊本県知事、それぞれの政治理念にも反するのではないでしょうか。誤ちを改めるに憚ることなかれ。大阪高裁判決を受入れて上告を取り下げ、原告患者を水俣病と認めて真の救済が受けられるよう強く求めます。
▼連絡先/大阪市東淀川区豊新5―12―40―206号デイゴ気付/tel 06―6328―4550 |
参考記事 >> 【ビデオ紹介】45年目の水俣病 関西在住患者は今 記憶から記録へ (1085号)
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人民新聞社
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