ちょっと待て!北九州博覧祭

八幡製鉄所は強制連行の責任をとれ!
八幡製鉄の元徴用工問題を追及する会

2001年 7月15日
通巻 1082号

 この北九州博覧祭は、この地に日本最初の近代製鉄所である八幡製鉄所が1901年に開設されて100年を記念して「アジアとの交流」や「日韓交流」をキャッチフレーズに行われています。
 でも、八幡製鉄所の歴史をご存じですか?
 近代における日本のアジア侵略への第一歩となった日清戦争(1894〜1895)で得た巨額の賠償金を元に、日本政府は軍事産業の育成と兵器の国産化をめざして1901年八幡製鉄所を建設し、日本最大の製鉄所をつくりあげました。ここで生産される鉄鋼によって、日本は本格的なアジアへの侵略戦争に突き進みました。
 アジア太平洋戦争の拡大にともない、鉄鋼生産と軍需産業の増産は至上命令でした。
 徴兵のため生産現場では深刻な労働者不足を生じました。日本政府は労働力の不足を解消するため、朝鮮半島より労働者確保のため強制連行を開始しました。
 朝鮮からの強制連行のほか、戦争捕虜、続いて中国人捕虜と住民を同じように強制連行して、労働させました。八幡製鉄所に強制連行されてきた人は、6000名以上と推定されています。
 強制連行された労働者は危険な荷役作業に従事させられ、労賃も日本人労働者よりかくだんに低く、病気であっても休めない状況でした。給与支給時には逃亡を防止するため、わずかな現金しか渡してもらえませんでした。
 このように強制連行されてきた労働者の奴隷的使役により巨額な利益を上げた八幡製鉄所は、敗戦後何らの補償も行わないばかりか未払い賃金も支払わず、朝鮮人徴用工を放りだしました。亡くなった朝鮮人労働者について遺族に報告もせず、遺骨も返還しなかったのです。
 八幡製鉄所は侵略戦争によって発展を遂げ、現在の世界最大の製鉄所である新日本製鉄の基礎を作り上げたのです。八幡製鉄所の発展により現在の100万都市、北九州市もまたできあがったのです。
 この博覧祭の開催にあたって、新日本製鉄八幡製鉄所、北九州市、北九州博覧祭当局に対して、このような過去の歴史を正しく記載し、謝罪を表明することを私たちは訴えています。
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八幡製鉄所は強制連行の責任をとれ!八幡製鉄の元徴用工問題を追及する会
▼連絡先/北九州市小倉北区大門1―1―1―304/tel093―591―7414

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