時評短評私の直言 |
小泉政権をめぐって はびこる「二局思考」 |
蓮月 |
2001年 7月5日
通巻 1081号
1071号にも少し書いたが、ずっと「二者択一論」の問題にこだわってきた。 最近であれば、「小泉内閣を支持するか、しないか」、これが「二者択一論」である。たったの2つに分けてしまうなんて、人間を血液型4タイプに分けて性格にレッテル貼りをしてしまうぐらいおかしい。何かアンケートで「1、はい 2、いいえ」とあれば、どちらにも○をつけずに、横に意見を書き入れてみたりしてしまう私にはチョー不思議現象である。 国民の多くが小泉内閣というよりも、小泉純一郎という人間を首相として評価しているというのなら(私は聞かれた覚えはないけれど)、何を評価しているのか。「派閥の論理を超える」とうたった以外に、私が知る限りでは、料亭よりはラーメン屋、ゴルフよりは芸術、コンサート。議員勤続25年以上の者への表彰と特別交通費手当・肖像画化の拒否うんぬん。資産は歴代総理の中では一番低額、となれば、確かに永田町では変人ということになるだろう。ハンセン病患者の人たちと面会し、内部で相当の圧力があっただろうにも拘わらず、控訴断念を決めたことも、支持率を下げない大きな要因になっているのだと思う。 それらのことについては、正直、私も評価する1人である。だが、もちろん、私は「小泉政権支持」に○をつける者ではない。佐高信氏が、「ダーティなタカ派」がいるのに対して、小泉氏を「クリーンなタカ派」と評したそうだ。ダーティよりはクリーンがいいが、ナショナリストには違いないし、中曾根康弘元首相や石原慎太郎都知事などが「私と似てる」と、我田引水的に利用しようとしているのも要注意だ。 ただ、「不支持」派にも問題はある。野党も含めて、「敵を射んと思わば…」と諺にあるように、批判にきめ細やかさが欲しいということなのだ。批判が、公明党や自由党や官僚を利するような批判になっては困るというものだ。 実際、今度の参院選で民主党から出る予定の大橋巨泉氏は、小泉内閣成立前のテレビで、小泉氏を痛烈に批判し、選ぶなら橋本龍太郎氏を、と言ってたのだ。また、土井たか子社民党々首が、いくら同じ野党だからといって、小沢一郎自由党々首を「前は水と油の関係だったが、今は水とジュースぐらい」と言うのにもガックリくる。(その社民党の辻元清美議員には、将来の首相になってほしいぐらいなのに!) アメリカでは、クリントン政権からブッシュ政権に移り、与党が民主党から共和党に移った結果(これも二者択一!)、原発は推進政策に転換されてしまった。 そもそも、ナチス台頭時のドイツで、当時の政権を批判するエネルギーがナチス政権を可能にしたのだから、批判もなかなか難しいのである。 もちろん「支持」派も、何を支持するのか、その中身を冷静に一度検討してみなければならないのは言うまでもない。「派閥を超える」に賛同したはずが、いつのまにか「小泉派」という一大派閥になっていたのでは、しゃれにもならないのだから。 「二極思考」、「こっちかあっちか」―そんな硬直化した運動は、メリーゴーラウンドのように、追いつくこともなく、ぐるぐる回り続けるか、止まるのみだ。 まだまだ書きたいことが。次回に。 |
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