〔意見特集〕テロと報復戦争─あなたはどう思う?

自身をさらけ出した
     等身大の運動を

大阪・マザーテレヤ

2001年 9月25日
通巻 1088号

 「もとはと言えばアメリカが悪い」「私ら貧乏人はどっちか言うたらアフガンの方に近いし」「ほんまにや、そうや」…という分かりあった関係から、ほんの一歩出ると、「何でやり返したらあかんの、あんなけやられたら、アメリカも怒るの当たり前やん」との声、声、声。マスコミはもっとひどくて「アメリカよ、いてまえ」のムード一色だった先月、いたたまれず2つの反戦行動に参加した。
 1つは地元のJR駅頭で「北摂反戦民主政治連盟」の反戦フォークつきビラまき情宣。事件後1週間のことだったが、私の回りでは一番早い行動で、迷うことなく家を飛び出した。普段利用する最寄りの駅なので、学校や仕事帰りの人々の中に知った顔もちらちら。恥ずかしい気もしたが、正しいことをやっている確信があり、気分よく大声を上げられた。
 夕方の7時前後と、帰宅を急ぐ人々、小雨も降って条件は悪かったけれど、小泉首相の自衛隊派遣発言にビラを手渡す手にも力がはいり、受け取る側にもこちらの思いは伝わったようだ。1日の疲労を顔ににじませながら、傘や荷物とともにわしづかみにしたビラを読む人、あからさまにいやな顔をする人、反応は様々だったが、「報復戦争反対」という行動に、誰もが「なんや」と意表をつかれた感じさえあった。「ちょっとちょっと、戦争反対やて」―女子高校生の一団のすっとんきょうな声が、ぶすっとにらんだり舌うちしていく、くすんだおっちゃんたちの中で明るく色彩を放って見えた。そう、みんな声を出さないと…。明日からもっとあっちこっちで反戦の動きが広がるだろうと予感して、心晴々と帰途についた。
 その5日後、今度は9・26の関西ピースウォークに参加した。中之島野外音楽堂に集まり、アメリカ領事館へ追悼の献花、報復戦争反対を訴えたデモに500人を越す人々、年代も幅広く女性の姿が多く、労働組合や学生の赤旗がちらほら。テロで亡くなった人たちへの黙祷のときには、騒然と騒ぎだした学生の一群はデモの間中も、昔懐かしいシュプレヒコールで、まわりの鼻つまみものになっていた。彼られのビラには「キャンドルや花は安っぽいヒューマニズムだ」と書かれていたが、集会は追悼と報復戦争反対の両方の趣旨で集まっているのだから、それが馬鹿馬鹿しいというなら来なければいいのにと思った。個々人がそれぞれの思いでせっかく集まった集会をつぶす気かと思った。
 例えたらふく生き血を吸ったようなアメリカ人でも、1つの命として貴ぼう、私たち弱者が平和を実現できるとしたら、そんな命の平等を唱えるしかないと思う。
 小一時間、もうほとんど通行人もいない、ただ車のサーチライトの洪水の中、私たちはその陳腐な学生たちの叫び声と対抗するように歌を歌って歩いた。残念なことに、反戦歌が「ウイシャル・オーバーカム」しかないのだ。大きな集会も必要だと思って集まったが、気持ちは不燃焼のまま帰途についた。セクトのつまらん介入に気をそがれただけではない。向かい合う人のいないところでは多人数集まっても空しい。地域に帰って、再度自身をさらけ出した等身の運動をつくろうと思った。

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人民新聞社

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