貧しいと辛い。まるで病気のよう。物質面だけでなく、倫理的に人を苦しめる。人間の尊厳を蝕み、すべての希望を奪い去る。
(モルドバの貧しい女性) |
お偉いさんたちには、貧乏人が目に入ってないようだ。貧乏人の何もかもがバカにされているし、何より貧乏なことがバカにされているのだ。
(ブラジルの貧しい男性) |
食料の窮乏と長時間労働からくる肉体的な苦痛や、日々誰かに頼らねばならない屈辱感や無力感からくる精神的苦痛や、お金を使うのにも、病気の家族の命を救うためにお金を使うべきか、子供たちに食べさせるために使うべきかといった選択を迫られる倫理的苦しみなどである。
貧困がこれほど苦しいものだとしても、なぜ貧しい人々はいつまでも貧しいのか
彼らが怠け者だからでも、頭が悪いからでも、堕落しているからでもない。すると、なぜいつまで経っても彼らは貧しいのか
この問題の探求には次の2つの視点が欠かせない。1つは、男女を問わず、貧しい人々自身のさまざまな現実・経験・今後の展望という視点で考えること。2つ目は、貧しい人々と相互作用を及ぼす関係にある社会制度を、公式・非公式を問わず理解すること。これを念頭に置き、「貧困の現地調査」による81ものレポートを作成した。それは、4万人以上の貧しい人々との討論を基にしたものである。この調査は1990年代に全世界の150ヵ国で行なわれた。
この調査を基にすれば、多くの書物が書ける。この報告書は
、貧困の共通傾向を扱う。私たちは貧困経験の分析を深めれば深めるほど、貧困の地域的分散性と社会集団の同一性、しかも人間の貧困体験には各国に共通性があるという矛盾にくり返し直面する。グルジアからブラジル、ナイジェリアからフィリピンまで、場所を問わず通底する課題が現れてくる。つまり、飢餓、喪失感、無力感、尊厳の冒涜、社会的孤立、のみならず、蘇生力、機知、連帯、国家の腐敗、行政の怠慢、性差別などである。
このような問題点を明らかにするとかなり多様に見えるが、「以前に読んだことがあるぞ」と、ふと気づくことが多かった。時には、自分たちの貧しい現実を彼らが語る時に喚起するイメージや言葉までが、置かれた状況が極めて異なるにもかかわらず、不気味なほど酷似しているのだ。
一例を挙げよう。小さな子供を抱えた母子家庭の母親は、親子が何とか食べていくのが関の山という状況を脱していないのに子供たちを手放さない状況を説明するため、似たような表現を駆使する。南アフリカ(1998年)では、ある未亡人が、「私は、たらい回しに宙に体を投げ上げられ、あちこちで殴られた。この子供たちを命懸けで連れて、どこへでも行った」と語った。グルジア(1997年)では、「1日わずかか2ラリ稼ぐために、まるで犬のように一軒一軒駆けずりまわって、何か衣類や品を売り歩いている間、家に子供を1人置きざりにしなければならないのは辛い」とある母親が語った。
私たちは世界各国で見聞きした、共通の傾向に関して報告するが、貧困解消戦略を効果的たらしめるには貧困を貧しい人々の視点から理解しなければならない。貧しい人々が越えねばならない障壁を調査しなければならないが、その障壁の多くは、社会規範、価値観、政府機関の役割、個人レベルではどうにもならない規則などと密接な関係がある。また、特定地域を対象にしても、貧困状況の大枠だけでなくディテールまでを、その社会階層、地域、国について、それぞれの或る特定の時期の諸制度を考慮しながら理解しなければならない。
私たちの分析では、貧しい人々の目からみた貧困経験に関して5つの結論が得られた。
(1) 貧困は多元的である。
(2) 貧しさのストレスで、家族が崩壊しつつある。
(3)
国家がおおむね無力で、貧困層に影響を行使できていない。
(4) 貧しい人々の生活に果たす
の役割が限られているため、NGO独自の個人的人間関係に頼らざるを得ない。
(5)
貧しい人々の唯一の「保険」である社会組織が崩れつつある。
このような課題のそれぞれ結論の概略を以下に紹介する。
貧困がなくならないのは、貧困が多元的重層的であることに起因する。貧困は絶えず変化する複雑で、しかも制度に埋め込まれた、ジェンダーと地域特有の現象だ。社会階層、季節、地域、国により、貧困の状況と形態は変わる。貧しい人々による貧困の定義では、6つの次元が際立った特徴となっている。
(1)貧困は、多くの重層的な次元から成り立っている。1つだけのものが不足していることを指して貧困と呼ぶことはめったにないが、最低線は常に飢えである。つまり、食料の欠乏である。
(2)貧困は、無力感、遺棄感、依存感、恥辱感、屈辱感といった心理的次元をもっている。文化的アイデンティティの維持と連帯のさまざまな社会的規範は、非人間的な環境に置かれていても人間性の尊厳を信じ続ける力となる。
(3)貧しい人々は、基本的なインフラ、すなわち道路、特に農村地域では運輸機関を利用できない。
(4)識字を渇望している人々は多いが、学校教育の話が出ることはほとんどなく、話が出ても見解は混乱している。貧しい人々で教育によって貧困から脱出できるという認識はある――ただし、経済環境全般や教育の質が改善すればの話である。
(5)疾病は、貧困の原因としてほとんど何処でも恐れられている。これは、病気により収入がなくなるだけでなく保険費とも関連している。
(6)貧しい人々は病弱と所得についてはほとんど語らないが、代わりに生活の不安定さに対処する方法として資産管理――肉体的、人間的、社会的、環境的なものを含めてのことばかり話す。多くの地域では、この生活の不安定さには性的分業の要素がある。
貧困に圧し潰され、家族が崩壊しかけている
被害を受けずに残れる家族も多いものの、崩壊する家族も多い。その理由として厳しい経済状況のもとで十分な収入を得られない「無能ぶり」に適応できないでいる男性は、女性が一家の稼ぎ手となったり、またそのために家族内での権限を委譲せざるを得ないことを受け入れがたいからだ。その帰結は男性のアルコール依存、家庭内暴力、そして家庭の崩壊であることが多い。
一方女性は、プライドを殺し、街頭に立って身を落とした仕事をするか、あるいは、それどころか子どもと夫を食わすためなら何でもする。こんなことは必ずしも女性の権限を強めることにならないのは明らかだ。新しい役割を引き受けたにもかかわわらず、女性は、労働市場での差別と家庭での性差別に直面し続ける。女性は、自分たちがそこで暮らし働く国家と、市民社会の諸制度の中の両方で抑圧的社会規範に直面し、女性としての価値を否定する通念を多くの女性が身につけてしまっている。
家族内での性差別は、極めて扱いにくい。経済的権限と所得があることが必ずしも社会的権限や家族内の男女の平等をもたらすとは限らない。それでも、この調査で分かるように、地域によっては家族内で力関係が平等に向かう仄かな希望が見えるところもある。
政府がインフラ整備、保健、教育サービスの提供で一定の役割を果たしていることは、貧困層も認めてはいるが、彼らの生活は政府の介入によっても相変わらずだと感じている。彼らは政府代表との折衝も、無礼・辱め・嫌がらせ・妨害などでうまくいかないと報告している。また、保健医療サービス、子どもの教育、社会的援助、福祉援助金の要求、賃金支払い、警察の保護、地元当局への公正さなどを求めると、汚職が蔓延しているとも伝えている。各地で彼らは、国家組織内部でも個人的には良心的人間もおり、一定の政策は有益であることを認めてはいるが、貧困から脱却させるには不十分である。
汚職がはびこる警察暴力の影響で、貧しい人々のモラルの低下も著しく、国家と支配層の権力に対しての無力感を既に感じている。男女による権限の不平等という社会的規範を反映した国家の諸制度に関する貧しい人々の体験も、男女によって異なる。女性たちは、多くの場面で性的暴力に対して立場が弱いことは変わらないと報告している。このような不愉快な経験をしてきたにもかかわらず、外部の人間が来ると、たいていは進んで信頼を寄せ、何か生活が良く変わるのではないかという希望を抱いて、もう一度熱心に話に耳を傾ける。
NGOに対しては混乱している。地域によっては、NGO
しか信頼できる組織がなく、
NGOのおかげで命を救われたというケースもある。NGOのいるところでは、政府との新しい協力関係が生まれつつある。しかしながら、NGOのスタッフが無礼で強引で、話を聴いてくれないとの報告もある。NGOの中には的はずれなことをやることが多く、国よりははるかにましだが汚職もあるとの驚くべき報告もある。貧しい人たちを組織して、市場がらみ、政府がらみの交渉能力を高めるのに力を注いでいるNGOの例はあまり見られない。この調査は、世界最大規模の、そして最も成功を収めているNGO諸団体との連携で行われたものなので、いくつかの重要な教訓が得られる。
最大のメッセージはやはり、最も成功を収めたNGOといえども、大多数の家庭に影響を及ぼすには至っていないという「規模」に関するものである。このように、世界中の貧しい人々は、独自の非公式の制度や人的つながりを信頼し、頼らねばならないのだが、どんなに恵まれている場合でも、このような組織には限界があることを認識している。非公式な団体や人的つながりなどは、貧しい人々が生き延びていく力になるかもしれないが、それは情況を変革しようとする役割ではなく、せいぜい彼らを守る役割を果たす程度である。すなわち、人々を貧困から脱却させるのには、ほとんど貢献していない。
非公式の人的繋がりの性格と利用には、男女で大きな差がある。貧しい女性たちは排除されて、地域社会や公式の諸制度には参加できないことが多いので、家庭的責任を果たすのに彼女たちを守ってくれる互助組織に、ずいぶんお金をつぎ込む。身の回りの情況が何もかも悪くなり始めると、貧しい人々は少なくとも死んだ時には世話をしてもらえる保証を得るために葬儀団体にお金をつぎ込み続けるのである。
貧しい人々の唯一の「保険」である社会組織が崩れつつある
最後に男女を問わず、貧しい人々の側から見れば、互恵と信頼の絆である社会組織にほころびが生じ始めている。それには、2つの力が働いている。組織的結束力の強い権力集団が特定集団を社会的に排除する力を強化する一方で、社会的結束力(グループ間の繋がり)が崩壊してきている。経済の混乱や大きな政治的動乱によって、家庭からコミュニティ、地方から国家レベルに至るまで、対立が生じた。
3つの重要な結果を導いた。1つは、いったん社会が崩壊し始めると流れを逆転するのは困難であること。2つ目は、かつては大衆行動の調整機能を果たした社会的連帯や社会規範が崩壊すると、無法、暴力、犯罪が増加し、それに対しては、貧しい人々が最も無防備である。第3に、貧しい人たちは、物質的財産がなく、民衆同士の社会的な繋がりの強さによる社会的保障を頼りにしているので、地域の連帯、隣人や親類の互恵の基準の崩壊は、他のグループ以上に貧しい人たちへの影響が大きい。
(※
今後「現地からの声」を中心に、随時連載する)
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