「日の丸」は自由を奪う

〜荒井人事委闘争が問うもの〜

大今 歩

2001年 2月5日
通巻 1067号

 1999年8月に強行された「日の丸」・「君が代」法制化にともなって昨年の卒・入学式においてはこれまで未実施であった学校に対しても「日の丸」・「君が代」が強制された。また大阪でも「日の丸」・「君が代」を強行したことに抗議した教職員に対する処分が相ついだ。1997年8月強行された荒井処分は大阪における一連の「日の丸」処分の端緒をなすものであった。


 「日の丸」・指導要録処分

 1997年8月27日、高槻市立阿武野小学校教諭の荒井和江さんは、大阪府教委により停職2ヵ月の処分をうけた。処分理由は・卒業式で職務として卒業証書授与の補助を行うべきところ、校舎屋上に国旗が掲揚されているとの理由からこれを拒否したため、卒業式が約8分間中断した。学級担任になり、指導要録の作成を分担させられていたにもかかわらず、指導要録の評定欄を記入しなかった、の2点だった。


 「処分説明書」人事委員会提訴


 この処分に対して、荒井さんは同年10月23日、大阪府人事委員会に「処分取消し」の不服申立てを行った。その理由は、まず「日の丸」・卒業式については、(1)卒業証書授与に関する校長の「職務命令」は存在しない、(2)卒業証書授与に協力しなかったのは校長の一方的な「日の丸」掲揚によってもたらされたもので、職務命令違反には当たらない。そして指導要録については、(1)現行指導要録の評定欄は本来できないはずの生徒の能力に断定を下すもので、差別・選別につながる、(2)学校教育法施行規則は校長の指導要録作成義務を定めるのみで担任教諭についての規定ではない(「反論書」)、という内容だった。
 1999年5月から今年1月に至るまで9回の公開審理が行われ、教員、市民らが傍聴席を埋めつくすなかで荒井さんの冒頭陳述ののち、飯塚前校長(処分当時の校長)、後藤元校長、保護者らが証言してきた。
 9回にわたる審理のなかで明らかになってきたことを「日の丸」・卒業式を中心に、述べたい。


 証書授与は職務命令か

 府教委は処分理由として卒業証書授与の職務命令に違反したことをあげている。ところが、証書授与について書面はおろか、口頭の職務命令さえ出していない。そこで府教委は職員会議での卒業式の役割分担の決定が即ち職務命令になるとしてきた。
 しかし、飯塚前校長に対する反対尋問で明らかになったことは、阿武野小では職員会議は最高の決議機関と位置づけられ、校長自身も採決のときには1票を投じてきたことである。したがって、職員会議の決定は単に校長を含めた教職員の合意であって「校長の職務命令」であるとは到底考えられないのである。


 混乱の責任は校長にある

 府教委のもう一つの処分理由である「卒業式の混乱(円滑な実施の妨害)」については、保護者の さんが荒井さんが担任していた6年生の息子さんと共に出席した卒業式について証言した。
 卒業式後、息子さんは さんに「荒井先生、すごいな、あんなシーンとしてしゃべりにくかったと思うのに、きちんと自分の意見を言いはった。やったな」と話した。そして卒業式の混乱がもしあるとすれば、荒井さんの抗議によって学校が「日の丸」を降ろすことになった経緯について生徒や保護者にきちんと説明しなかった校長にこそ責任がある、という内容だった。
 このように「卒業式の混乱」はなく、むしろ「混乱」させた責任は教職員の反対を押し切り、生徒や保護者に理由も示さず「日の丸」を掲揚した校長にあることが明らかになっている。


 「日の丸」は自由を奪う


 荒井さんは冒頭陳述で「『なぜ』という疑問に答えるのが学校なのに、『日の丸』を掲げたことを子どもたちに知らせない、『日の丸』の旗が自由を奪うものだと、自分の処分からなおさら感じている」と述べた。新井さんが言うとおり、学校が生徒に対して理由も示さず「日の丸」を掲げていることは教育本来の目的に反しており、学校不信の根本原因ともなっている。「日の丸」・「君が代」の押しつけによってますます息苦しくなっている学校に風穴をあけるため、荒井処分の取り消しを勝ちとりたい。

 

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人民新聞社

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