資料 |
●国労闘争団有志声明 |
私たちは要求実現まで、政府・JRを相手に闘い続けます |
2001年 2月5日
通巻 1067号
1月27日、国労は一線をこえた。機動隊の戒厳令下におかれた会場から反対派と報道陣を締め出し「四党合意」を強行採決した。 「四党合意」自体が国家的な不当労働行為であり、これを承認するということは、労働者と労働組合がみずからの生きる権利を自らの手で葬り去るということである。だからこそ、7月と8月の臨時大会も10月の定期大会も、そんな労働組合の自殺行為ともいえる「四党合意」だけは否決しつづけてきたのである。 だがしかし、労働者と労働組合が良心をまもりつづけるということは権力に対する闘いであり、闘いである以上、マルクスの言うとおり「労働者はときどき勝利するが、それはほんの一時にすぎない。彼らの闘争の真の成果は、直接の結果にはなく、労働者の団結がますます拡大することにある」のである。 リストラ・首切りの嵐が吹きあれ、頼るべき労働組合運動が次々と権力の手によって堕落させられ、いま日本の労働者はすべてを奪われて寒空のなかに立たされているのだ。しかし、悲観することはない。右傾化と総翼賛化が進めば進むほど、左翼バネがはたらき、新たな闘いがまきおこることもまた法則である。 闘う国労闘争団の栄光は不滅である! 日本労働運動は必ず再生し再建されるだろう! 20闘争団有志は「四党合意を認めず闘い続ける」ことをはっきりと意志表示した。 (東京・前田年昭) |
2001年1月27日、第67回国労定期全国大会(続開)は、国労はもとより日本労働運動にとっても、極めて不幸な記念日となった。組合員の民主的な自治によって運営される労働組合が、とりわけ、闘う組合と標榜されてきた国鉄労働組合の全国大会(続開)が、組織内外の多くの反対を無視して、闘争団・組合員・来賓の傍聴規制やマスコミの報道規制に加え、1000名近い機動隊を導入してまで強行されるにいたったからである。
しかも、その混乱の原因は、解雇撤回争議を闘い続けている当事者の闘争団に何の相談もなく、完全屈服ともいえる「4党合意」を、国労本部役員だけで一方的に承認したことにあり、内外に波紋と衝撃を与え、それ以降も、当事者を中心とした関係者との合意形成を図ることなく、嘘と詭弁と組合民主主議を無視した機関運営によって、このような異常な事態まで招いた国労本部の責任は重大である。
国労稚内闘争団・団長・池辺哲司/国労音威子府闘争団・団長・鈴木孝
/国労名寄闘争団・団長・西原順一/国労旭川闘争団・団長・内由泰博/国労深川闘争団・団長・瀬古勝利/国労留萌闘争団・団長・田辺和憲/国労紋別闘争団・団長・清野隆/国労北見闘争団・団長・前北富雄/国労美幌闘争団・団長・高橋修/国労帯広闘争団・団長・馬渕茂/
国労仙台闘争団・佐藤昭一・佐藤正則/国労東京闘争団・寺内一夫/国労静岡闘争団・野田紀泰
/国労筑豊闘争団・土村学/国労鳥栖闘争団・原田亘/国労佐世保闘争団・浦川和彦/国労熊本闘争団・団長・平嶋慶二
/国労大分闘争団・赤峰正俊/国労鹿児島地方闘争団・団長・山内勇/国労川内班闘争団・団長・藤崎久/国労鹿児島班闘争団・団長・垂脇道男/国労姶良・伊佐班闘争団・団長・岩崎松男/国労志布志班闘争団・団長・鶴巣繁啓/国労宮崎班闘争団・団長・松村秀利/国労都城班闘争団・団長・新原俊弘
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人民新聞社
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