追悼 |
渡辺 芳蔵さん |
2001年 2月25日
通巻 1069号
本紙でも何回か紹介してきた、戦後の日本共産党の総括作業を進めている「岩井会」の会長代行であった渡辺芳蔵さんが去る2月10日、闘病の末、肺癌で亡くなられ、葬儀が翌11日、「友人葬」として行われました。享年75歳。 渡辺さんを追悼し、以下に渡辺さんの活動歴を紹介します。 *1925年9月21日、大阪で生まれる。 *1945年、旧満州の発電所で敗戦を迎え、以降ソ連の捕虜として発電所の仕事に従事。 *1947年3月、大連より引き揚げ。5月、日立桜島造船に就職。 *1948年、日立造船に勤務しながら、日本共産党西大阪地区のアカハタ配達を手伝う。9月、日立造船を退職、西大阪地区に続いて港地区のアカハタも配達。 *1949年7月、福島・此花の生活擁護同盟を組織。 *1950年、日本共産党の潜行幹部の中国への出国に際し、徳田球一を大阪港沖に停泊中の外国貨物船に乗船させる。また、野坂参三の亀山から大阪までの移動にも携わる。 *1951年、西大阪地区と北大阪地区の合併に伴い、北大阪地区のキャップに。 *1952年、南地区キャップ。 *1953年、南地区から西Y(軍事部門)隊長。和歌山水害救援に。9月、肺結核で入院。 *1955年2月、退院。日本共産党関西機関紙部へ。 *1956年、関西文化部へ。 *1957年、党常任を辞任。 *1969年、岩井会に参加。 *1991年、岩井会会長代行に就任するとともに医療法人南労会社員(理事)に。 *2001年2月10日、逝去。 |
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人民新聞社
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