現在、「新しい歴史教科書をつくる会(会長・西尾幹二)」(以下、つくる会)が作成した中学校歴史教科書を、学校現場での採用を目指す動きが活発化している。彼らが「自虐史観」と称する、歴史とその認識への「右」からの清算をもくろむナショナリズムの攻勢に対して、私たちは、どのように対抗していくのか。3月24日、大阪国労会館で開かれた「『平和資料館』と『右翼教科書』『教育基本法』を考える集い」(主催・大阪平和市民会議)の様子をレポートする。
話をされたのは、新城俊昭さん(沖縄県立高校教員)と高嶋伸欣さん(琉球大学)の2人。
新城さんは、沖縄県歴史教育研究会のメンバーとして『高等学校 琉球・沖縄史』を執筆。高校での歴史の副教材として使うと同時に一般にも市販し、市民からの「検定」を受けているという、教育現場での生の経験を踏まえて沖縄・琉球史を教える意義について語った。
先人の足跡を学ぶことにより沖縄に生きる者としてのアイデンティティを確立すること。日本史・世界史で学んだ抽象的・一般的な歴史概念に、沖縄の具体的な歴史事象を照らし合わせることによって、また事実を深く掘り下げる作業を通して歴史の本質を見極める目を養うこと。日本史に琉球・沖縄の視点を取り入れることで従来の画一化された日本史像を突き動かして新たな枠組みづくりを担うこと。また今後、平和教育との関わり、教育改革・学校改革という課題との関連をどうしていくのかなどが課題だと話した。
高嶋さんは「なぜ教科書を変えようとするのか」と題して、「つくる会」の教科書を分析・批判した。
「つくる会」教科書の目指している歴史認識は、例えば代表執筆者・坂本多加雄の文章に現れている。彼は「歴史研究一般について言えば、トイレ構造の歴史もあれば、慰安婦制度についての研究も成立するが、トイレ構造の歴史で日本人の生活史を代表させるのはオーソドクスな日本史とは呼べない」云々とくり返し書き、慰安婦の歴史はトイレの歴史と同じで歴史教科書に載せるようなものではないと言っている。沖縄戦の記述一つとっても、主語となっているのは「日本軍」や「兵」であって、そこには沖縄住民への視点がまったくない。等々。
そもそも教科書の基本姿勢として、実際の教育の場で教師と子ども達が共同の作業として創り上げていく作業(子ども達が主体的に考えて、調べ、探求していく)の場としての「授業」で使う材料だということが考慮されていないことが挙げられる、と指摘。「考える会」の教科書は自己完結してしまっており、「授業」の場で教師と子ども達が主体的に歴史を学んでいく余地がない、硬直した「記述型」教科書である。
最後に、会場も含めた対談となったが、教科書とは、誰かにどこからか与えられるといったものではなく、教師、子ども達、そしてまわりの社会をも含めた、自分たちで創っていくものだということや、「つくる会」教科書の採用までまだ反撃していく時間は残されていること、教師と子ども達が「授業」を創り上げていければ、たとえ教育勅語をテーマにしても広く深い理解と健全な批判力に基づいた授業は創れるんだという発言が印象に残った。
(小比類巻新)
|