大学を貧乏くさくしよう!

全貧連(全日本貧乏学生総連合)・松本哉

2001年 1月15日
通巻 1065号

「こぎれい」は迷惑だ

 どうも近頃、大学がこぎれいになってきて困る。実に居心地が悪い。今、どこの大学も校舎を建て替えたり、むやみに学内をピカピカにしたりして、やたらと『きれい』にしようとしている。が、そのおかげで、ビラが貼れない、大学に泊まれない等、どんどん不自由で窮屈になって来ており、迷惑極まりない。そもそも、大学で学生が自由に活動したら、どうしても貧乏くさい雰囲気が漂ってしまうのであり、むやみに『きれい』にするなど無理だ!それだったら貧乏くさい方がよっぽどましだ!
 ということで、我々貧乏学生はついに立ち上がり、97年頃から法政大学を中心に全貧連(全日本貧乏学生総連合)を結成し、貧乏化運動を開始した。現在は全国十数大学で活動しているが、とりあえず主戦場である法大での闘いを紹介しよう。

 

ゲリラ的大学貧乏化運動


 まず、学食闘争。法大当局のこぎれい化方針に迎合した学食が、年を経るごとにボッタクリ化して来て、それ対し貧乏学生の怒りが爆発したことから始まった。学食粉砕集会では、一回目が120名、二回目には200名を上回る学友が大結集し、そのままデモ隊が学食に乱入し、「高いぞこのやろう!」という、非常に貧乏くさいシュプレヒコールを叩きつけた。また、学食前で昼休みに100円でカレーを売ったり、「まずい!高い!少ない!」というビラを3000枚貼ったりと、闘い(嫌がらせ)の限りを尽くし、ようやく若干の改善を見るに至った。
 また、キャンパス中央にコタツ、テレビ、本棚、鍋、酒などを持ち込み、突如として屋外に一家団欒を出現させる「市ヶ谷解放区闘争」。これは通りがかりの学生を巻き込みつつ、2〜3週間、24時間体制で行う (つまりこの間は毎日泊り込みで大宴会) という恐ろしい闘い。この闘争によって、学生間の連帯を深めると共に、大学を生活空間にしてしまうことを目論んでいる。
 さらに、夏のキャンパスでビールを売りまくる「ビアガーデン闘争」、大学当局主催の入試説明会(うそばっかりつく)で「法政は極めて貧乏くさい」という真実を明示したパンフを配布するなど、ひたすらゲリラ的な大学貧乏化運動を推し進めている。
 一方、業を煮やした法大当局は、我々に対し恐れ多くも「警告」や「停学処分」などで弾圧を開始した。が、「キャンパスにコタツなどを出し…」とか「正門前で酒盛りを始めるという暴挙…」「エレベーター前に畳を敷くという狼藉行為…」など、当局の発する文書があまりにマヌケなので、弾圧どころか逆に宣伝になって助かる。今現在、対当局戦はまさしく大勝利に終わっている。

 

「大学の危機」とは何ぞや?

 そもそも、「大学」とは何をする所か。ありきたりに言えば、学問探求、真理探究の場だが、要はやりたいことが何でもできるような場であるべきだろう。学問研究にしても、その他の活動にしても、何者かによって方向性を定められるのではなく、自分の思うままにできてこそ、本来、大学という場の存在意義がある。
 ところが、どうも最近は、単に高校を出てから就職するまでの間に行く所になっており、単なる就職予備校と化しつつある。国や企業の即戦力になる人材の養成機関になり下がりつつあるのだ。しかも、国・企業からの圧力だけでなく、あろうことか各大学当局までが、少子化による若者人口の減少という「大学の危機」なるものにビビってしまい、それを受容してしまっている。とんでもない…。
 こんな体たらくが「危機」を呼ぶのであり、国や企業など放っておいて、ちゃんと大学として本来やるべき事をやれば「危機」もクソもない!やはり大学には、様々な人間が好き勝手に自由に活動している様な、いわば混沌とした状態こそが重要であり、変に整然としていても面白くも何ともない。
 ともかく、文部省等による画一化の動きを蹴散らし、ひたすら直接行動と実力行使を中心に、大学を貧乏くさくし、混沌の中に叩き込み、真に文化的な場にしていこう!そこで重要になってくるのが、単なる高卒の者だけでなく、労働者、失業者、老人、子供など、何でもいいので、ひたすら「大学」になだれ込み、大暴れすることだ。大学の危機を救うために、全人民で大学を制圧し、我々の手に「大学」という場を奪還しよう!

>> 法政の貧乏くささを守る会ホームページ

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