川柳時評

この先を どうするという市民主義
市民派という 限界を知っているか

乱鬼龍

2001年 6月25日
通巻 1080号

 60年代、70年代、80年代、90年代と、ささやかだが、地域の市民運動などに積極的に参加し、自分なりに精一杯の努力をしてきたつもりだ。
 私自身の《政治的出自》として「社共」にも「新左翼」にもなんの隗力も、そのホンモノさも感じてこなかったからこその、もう一つの《選択》としての「市民運動」への参加であった。
 だが「市民運動」に参加すればするほど、「市民運動」のもつ限界性や(「社共」も「新左翼」もまた似たようなものではあるが)、「市民運動」に参加する人たちの《水準のバラツキ》や《認識のずれ》等々が、今までにも増して、気になってきた。
 また、私自身が「社共」や「新左翼」よりも「市民運動」への思い入れの中で生きてきたことの《反作用》的な面もないとは言えないと思うが、(全部とは、もちろん言えないが)《市民運動オタク的》な人たちの人物としてのケチ臭さ、自惚れ(小さな集団やサークルの中で《テング》になっている人たちによく見受けられるような)といったものも、以前にも増して感じられるようになってきた。
 一方、この間の「小泉革命」に象徴されるような資本の側の、総力を挙げての、全面的な《反動攻勢》の中では、それぞれシングルイシューの個別課題を(もちろん、それを日々実践することすら大変な仕事であることは、重々承知しているが)、文字通り個々バラバラに取り組んでいるだけでは、それぞれに《各個撃破》され、刀折れ矢尽きてしまうだけではないか…という強い危機感と思いが私にはある。
 そう思うと「社共」も「新左翼」も、そして「市民運動」も、それぞれ小さな《守備範囲》の中でふるまい行動することに《安住》してはいないか。その意味で、総じて《保守化》《退化》してはいないか…という思いもまた強く抱く。
 そして、本当に必要なのは、それらが皆《解党的出直し》をするくらいの覚悟と決断をもって、今日の労働者人民の、そして「全国」の、あるいは「ゆりかごから墓場まで」の、諸課題、諸闘争を担えるような「全国的な組織」(あるいは《連絡網》といったもの)を早急に作りだせないものだろうかという思いであり、危機感である。
 そうした人民の側の《決死の対抗軸》とでも言うべきものを立ち上げられなければ、私たち人民の側に到底《勝ち目》などないのではないかという思いでもある。

 今までにも、そのような「新しい党」をつくろうという動きは、もちろんあっただろう。それは、なぜ、どのような理由で、うまくいかなかったのだろうか。
 だが、それらこれらのいきさつや行きがかりなども、この際、全て《解党的出直し》として一度ゼロに戻してでも、そこからもう一度考え、結集してみようではないかという試みにはならないものなのだろうか。
 三十余年間の「市民運動」への積極的な参加をしてきた私なりの、今時点での個人的な歴史的総括として「市民運動(主義)から、真の新しい質を持った『党』(あるいは、それを目指すものとしての)への心機巻き直しとしての大転換、大出発」という《ひとつの結論》へ今ようやく到達した。
 このことは、もちろんたやすいことではないだろうし、多くの困難を乗り越えていかなければならない《険しい道》だろう。
 だが、そうした《険しい道》へ自らの意を決して進む他に、私たちが今日の歴史的時点の中で、真に労働者人民の歴史的主体として選択し得る、また、すべき道は、こうした《大道》をおいて他にない、と私は考える。
 そうした決断を自らに迫ったとき「社共」の「新左翼」の、そして「市民派」の、一体どれほどの人達が、自らの《解党的出直し》も含めて《自己解体》し《脱》できるだろうか。
 しかし、それくらいの必死さもないようでは、事は始まることすらないだろうと思う。「脱社共、脱新左翼、そして脱市民派」の人達による全国的な、横議・横結の《今日版の草莽の発起》を、たとえ今日の時点では、極めて少数派ではあっても、始めたいと考える。
 このことに関しての《横議・横結》を希望するものである。

(終)

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