書評 |
『憲法を活かす
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2001年 5月25日
通巻 1077号
著者は、法廷の外においても「関西共同行動」など、人権・平和・憲法を守る市民運動に携わっていることでおなじみの弁護士である。
本書は、著者が関わった事件・訴訟を個別に紹介する第T部、「二一世紀の日本国憲法の意味」と題した対談の第U部で構成されている。
私は、第T部を読んでイヤな感じを思い出してしまった。自分らの給料の出所は税金なのだということを忘れた司法・立法・行政の連中の悪事──えん罪やら弾圧の数々。いくら「自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(憲法第一二条)とはいうものの、どれだけの人が犠牲を強いられなければならなかったことか。国家とは抑圧機関であるとはいうものの、連中の不法・無法のやりたい放題への怒髪天を衝くばかりの怒りと、地の底まで投げ出されんばかりの脱力感、失望感。
今の私はだいぶ前から政治的ドッチラケと(底の浅い)怒りという、小児病の「症状」に悩んできたのだが、それはここに原点があったのだな。著者は第U部の対談でこう発言している。
「…憲法の実現に努力してきた市民が多数いるにもかかわらず、その努力を踏みにじってきた政治のあり方こそ、まさに問題だろうと思います」(189ページ)
さて、かつて革命を志した(ている)者としては、どこかに「憲法を守れ」云々することへの居心地の悪さがあったと思う。どうせ革命の暁には国家権力を打倒するのだから、些末な権利擁護に関わり合ってはいられないというような…。
本紙を読んでいるあなたは、どんな人だろうか?市民、活動家、それとも政党員?自由人?アナキスト?共産主義者?自己をどのように規定しているにせよ、この「日本国憲法」なるものと真摯に向き合うことが求められるであろう。たとえこの憲法を評価しない立場でも。
「憲法を嫌い、いっそのこと憲法を変えてしまおうという流れが強まっているからこそ、憲法の初心に立ちかえって、憲法の意味を再確認し、憲法をどのように活かしていくのかを具体的に考えることが重みを増している」(「おわりに」)
(終)
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