「4・14集会」名称と個人名での「解散宣言」とに対する疑問 |
「民主主義」を唱えるにとどめず、 日々の活動・行動での実践を |
日本赤軍によるハーグ闘争被告(逮捕・監禁・殺人未遂)・和光晴生 |
2001年 5月15日
通巻 1076号
重信さん救援・支援活動に関わろうとの意向のある方々によって、4月14日に開催された「重信房子さん訪日歓迎集会」について、その集会名称に疑問や批判を表明する声が、情報過疎の獄中にある私の耳にも複数の方面から伝えられてきました。
それらの声はかなり早い時期からあがっていたようです。にもかかわらず、訂正されることなく開催に至ったようです。「歓迎」とカギカッコが付された文書もあったのは批判の声を考慮してのことなのか、私には分からないことです。
いずれにせよ、私個人としても、「訪日」とか「歓迎」とかの話は、この間のガサ入れや逮捕等の弾圧の巻き添えとなった方々のことを考慮したら、適切とは見なせません。
「支援活動は楽しくやって欲しい」との重信さんの意向を受け、はしゃいだ感じを出そうとしたのかも知れませんが、社会性の欠如と非常識かつセンスの悪さを感じさせます。限られた仲間うちだけでの集いならまだしも、協賛団体を無理して募ろうとするような努力もなされていた以上、より常識的な集会名を採用すべきだったのではないでしょうか。結局、協賛団体名を掲げることは取り止めになったようで、その経緯も気になります。
ここで問いたいのは、このような集会名を採用・決定するプロセスがいかなるものとしてあったのか、ということです。当初、実行委として顔を合わせた少人数のアイディアで決定し、その後出た不評については考慮に入れずに済ましてしまったということなのでしょうか
民主主義の徹底を目指すということが当の重信さんによってこれからの運動の方向として提起されているとき、その支援に関わる方々が、集会名の決定にあたって民主主義を実践しているように見えないのは残念です。
不評の声が実行委に届かなかったとしたら、そのこと自体が民主的な環境が整備されていないことを示していると言えます。民主的ということには公正さと透明性が問われます。この視点から、集会経緯については民主的に捉え返しを行う必要があるのではないでしょうか。徹底的に!
次に、重信さんの4・14集会へのメッセージでも、4・23初公判での意見陳述でも発せられている「解散宣言」について―。
私自身、日本赤軍は解散声明を発すべし、との提起を行ってきたわけですが、なぜ組織名によってではなく、個人名をもって「解散」を宣言したのか、大いに疑問なことです。獄外の意向を踏まえているのだけれども、その経緯についての説明を端折ったということなのか。つまり、獄外による組織的な決定はすでになされていて、それを個人名で発表するという「方針・政策」のもとに行ったということなのか。それとも、全くの個人レベルで発せられた「宣言」なのか不明であり、「宣言」自体の有効性が判じ難いのです。
組織の解散を個人名で行うというのは異常なことです。そういう認識を本人は抱いているのかどうかすら不明です。
はっきり言って、これでは解散決定権の私物化です。そんな権限が個人に与えられている規約があるというのなら話は別ですが、それならそうで世にも非常識な規約ということになってしまいます。
いずれにせよ、重信さんが4・14集会と4・23公判で発した「解散宣言」は、そのまま「日本赤軍は重信私党でした宣言」ということになります。「そんなつもりではないのだ」と言うなら、まずは個人の意見、他のメンバーへの「よびかけ」として発せられるべきであり、正式の「解散宣言」は獄外主体に委ねられるべきでした。そうでないところでは、解散すらまともに果たせない、常識が欠如した、民主主義も未成熟なままにあった集団、まさに秘密主義の密室政治・陰謀集団ということになってしまいます。
うがった見方をすると、実はとっくに「日本赤軍」は「人民革命党」に改組済みなので、偽装解散として個人名による「日本赤軍」の「解散宣言」を発する形を採用したのだ、という勘ぐりすら可能です。
とにかく獄外主体は、重信さんをはじめ獄中、獄外の多くのメンバーの意向は集約できているのでしょうから、本当に解散の意向が決定的であるのなら、清算事業・継続課題等の整理と方向付けを果たした上で(この手当てがない限り、一方的リストラ・計画倒産と見なされます)、正式に組織として「日本赤軍―人民革命党」の「解散宣言」を発すべきです。民主主義を目指すなら解散を民主的に課す必要があります。徹底的に!
(小見出・編集部)
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