歴史教科書の「国定化」
もくろむ歴史改ざん派

2001年 5月15日
通巻 1076号

「(『つくる会』教科書は)歴史事実や人類の良心に対する挑発であり、アジアの全ての被害国民を侮辱するものであり、中国人民を含むアジア各国の人々は決して受け入れることができないものだ」(中国外交部スポークスマン談話)
「新しい歴史教科書をつくる会」メンバーの編集執筆による中学歴史・公民分野教科書の検定合格が明らかとなり、採択に供されることになった。歴史教科書をめぐっては、アジア諸国をはじめとして内外から強い批判がなされている。教育統制の象徴とも言える検定制度そのものは廃止されるべきであるが、このような非科学的で憲法の精神すら否定する歴史観が堂々と大手を振って罷り通ること自体に強い危機感を感じる。右翼教科書・『つくる会』作成教科書の記述を紹介し、問題点をまとめてみた。

・憲法否定・国際的孤立を誘う歴史観
・検定制度を廃止し、自由発行・自由選択の教科書を

■修正後も基本姿勢は変わっていない

 アジア太平洋戦争を「大東亜戦争」とよび、それが侵略戦争だったことを認めず、アジア解放のために役立った戦争として美化し肯定する立場がつらぬかれている。韓国併合・植民地支配への反省はなく、むしろ正当化する考えが残っている。「従軍慰安婦」の事実は無視し、南京大虐殺についても否定論の立場を一方的に記述している。

★原文
「これは、数百年にわたる白人の植民地支配にあえいでいた、現地の人々の協力があってこその勝利だった。この日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの人々、さらにはアフリカの人々にまで独立への夢と勇気をはぐくんだのである。日本政府はこの戦争を大東亜戦争と命名した。日本の戦争目的は、自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し、そして、『大東亜共栄圏』を建設することであると宣言した。」
▼修正文
「この日本の緒戦の勝利は東南アジアやインドの多くの人々に独立への夢と勇気を育んだ。」(以後原文どおり)

★原文
「韓国併合
 …これは、東アジアを安定させる政策として欧米列強から支持されたものであった。韓国併合は、日本の安全と満州の権益を防衛するには必要であったが、経済的にも政治的にも、必ずしも利益をもたらさなかった。ただ、それが実行された当時としては、国際関係の原則にのっとり、合法的に行われた。しかし韓国の国内には、当然、併合に対する賛否両論があり、反対派の一部から激しい抵抗も起こった。」
▼修正文
「韓国の国内には、一部に併合を受け入れる声もあったが、民族の独立を失うことへの激しい抵抗が起こり、その後も、独立回復の運動が根強く行われた。韓国併合の後、日本は植民地にした朝鮮で鉄道・灌漑の施設を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始した。」

 

■天皇賛美・偏狭なナショナリズム


 日本の歴史を天皇の権威が一貫して存在していたかのように描き出し、一方ではアジア諸国の歴史を根拠もなく侮蔑的に描き、その上に立って国際的に通用しない偏狭な日本国家への誇りを植えつけようとしている点も、検定意見すらつけられなかった部分が多く、ほとんど変化がみられない。

★原文
「(日清戦争に関して)日本の勝因の一つには、日本人が自国のために献身する『国民』になっていたことがある。それに対し、清の軍隊は金で雇われた兵で、戦況が不利になると、たちまち戦闘意欲を失ってしまった。」
▼修正文
「日本の勝因としては、軍隊の訓練、規律、新兵器の装備がまさっていたことがあげられるが、その背景には、日本人が自国のために献身する「国民」になっていたことがある。」

★原文
「平城京には長安のように城壁がなかった。長安が城壁に囲まれていたのは必ずしも外的防衛のためだけではなく、人民を監視し、軍兵に利用する目的で囲い込むためでもあった。そうした厳しい政策を日本は必要としていなかった。」
★原文
「朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり、後背地を持たない島国の日本は、自国の防衛が困難となる。この意味で、朝鮮半島は日本に絶えず突きつけられている凶器となりかねない位置関係にあった。」
▼修正文
「後背地を持たない島国の日本は、自国の防衛が困難となると考えられていた。」

 

■帝国への郷愁・教育勅語礼賛

 第2次大戦後に廃止・失効となった旧大日本帝国憲法や教育勅語を礼讚する記述は変わらず、大日本帝国憲法のもとでいかに人権が抑圧されたかについての記述はみられない。

★原文
「1890年議会の召集に先立ち、天皇の名によって『教育に関する勅語』(教育勅語)が発布された。これは父母への孝行や、非常時には国のために尽くす姿勢、近代国家の国民としての心得を説いた教えで、各学校で教えられ、近代日本人の人格の背骨をなすものとなった。」
▼修正文
「1945年(昭和20年)の終戦にいたるまで」 を「各学校で教えられ、」の前に挿入。

★原文
「こうして、日本は本格的な立憲政治は有色人種には無理であると信じられていた時代に、アジアで最初の議会を持つ立憲国家として出発した。」
▼修正文
 選挙権は満25歳以上の男子で一定額以上の納税者に限られていた。しかし・・・・
 日本国憲法第九条「改正」論を基調に、国防の義務、国家への奉仕を強調する記述も変わっていない。

★原文
「全土で70万人もの市民が殺される無差別爆撃を受け、原子爆弾を落とされ、戦後、占領軍に国の歩むべき方向を限定づけられてから、ずっと今日まで、この影響下に置かれてきた。本当は今は、理想や模範にする外国がもうないので、日本人は自分の足でしっかりと立たなくてはいけない時代なのだが、残念ながら戦争に敗北した傷跡が50年以上経ってもまだ癒えない。そのため、日本人は独立心を失いかけている。」
▼修正文
「全土で70万人もの市民が殺される無差別爆撃を受け、原子爆弾を落とされた。戦後、日本人は努力して経済復興を成し遂げ世界有数の地位を築いたが、どこか自信をもてないでいる。本当は今は、理想や模範にする外国がもうないので、日本人は自分の足でしっかりと立たなくてはいけない時代なのだが、残念ながら戦争に敗北した傷跡が50年以上経ってもまだ癒えない。」

 さらに国旗国歌を天皇と共に国民統合の象徴として強調する。
★原文
「国旗国歌法―日本の国旗は『日章旗』(日の丸)、国歌は『君が代』である。1999(平成11)年に国旗国歌法が成立し、長年の慣習法が法律に明文化された。国旗とは、…その国の主権をあらわす神聖なシンボルとして尊重されるものである。
 国歌『君が代』の君は、日本国憲法のもとでは日本国および日本国民統合の象徴と定められる天皇を指し、この国歌は、天皇に象徴されるわが国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解釈されている。」



 戦後の歴史学や歴史教育は、戦争遂行に歴史教育が利用されてきたことへの反省をふまえ、科学的に明らかにされた歴史事実を何よりも重んじてきた。ところが「つくる会」の教科書は、今日の世界の動向を無視して国際緊張を過大に描き出し、歴史事実を歪めて戦争を美化し、国家への誇り、国家への奉仕、国防の義務を強調している。これは、子ども・国民をこれからの戦争に動員することをねらうものである。
 「つくる会」側が若干の修正に応じたのは、ともかくこれを教科書として採択の市場に出すことを優先し、それが採択されたならば、次にはより鮮明にかれらの主張を打ち出したいっそう危険な教科書を発行しようとの戦術にほかならない。「新しい歴史教科書をつくる会」の本来のねらいの危険性が、若干の教科書記述の修正で消え去るものではないことを強調しておかなければならない。
 戦争への痛切な反省から生まれた日本国憲法の理念をこのように敵視する教科書が公教育の場に登場するのは戦後初めてのことであり、公教育として許されないことである。時あたかも日本を戦争参加にみちびく新ガイドライン関連法が成立し、改憲をめざす動きが本格化するなかで、このような改憲のすすめともいうべき教科書が登場したことは、21世紀の日本を左右する重大な問題がその根底にあることを示している。
 「つくる会」勢力は、今採択に向けて様々な動きを展開している。地方議会決議で圧力をかけ、「教科書を採択する権限は、教育委員会にある」(「教科書採択制度の問題点」・藤岡信勝)として、採択手順から現場教師を排除するよう採択システムの変更を求めている。まさに教科書の「国定化」を進めようとしているのである。
 今回、「つくる会」教科書が検定に合格したことで問題はクローズアップされた。しかし、検定制度そのものが教育の国家統制を狙うものであり、自由発行・自由選択の元で、さまざまな教科書がつくられ、議論のテーマとなる中でこそ社会のコンセンサスを得た、アジア各国民衆の理解も得られる歴史観が創られる。短期的には混乱もあろうが長い目で見れば、より民主的・民衆的なものとなるはずである。


(終)

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