あけましておめでとうございます

(東京・遠藤 誠)

 

2001年 1月5日
通巻 1064号

 

 ところで、親鸞上人は、743年前、つぎのように申されました(末燈抄・要約)。「自然といふは、をのづから、しからしむといふことばなり。行者のはからひにあらず。法爾といふは、如来の御ちかひ・法の徳のゆへに、しからしむるをいふなり。すべて、ひとのはからはざるなり」と。
 親鸞上人が最後に到達された、いわゆる自然法爾の世界でございますが、「この天地大宇宙を、始めのない過去から、終わりのない未来にかけて、生きつづけに生きつづけている大いなるもの・大いなるいのち・大いなるひかり・宇宙の大生命・宇宙意志・宇宙の霊性、すなわち如来のおん力・おんもよおしにすべてをおまかせして生きれば、この地球はこのままで浄土になるのであって、人間の小ざかしいはからいによって生きていれば、とんでもないことになる」という意味であります。
 ところが、今や人類は、ハイテクと高度の技術・機械の発達と遺伝子の組みかえという、小ざかしいはからいによって、地球と自然を破壊し、オゾン層を破壊し、生命をもてあそび、人間が作りだしたコンピューターによって人間が支配されるという、あさましい症状に陥っております。
 私は、今年も、自然法爾に生きて行く所存でございます。

 

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