岡本基金の創設に協力を! |
草木 風子 |
2000年 7月25日
通巻 1050号
レバノンへの政治亡命が認められた岡本公三氏の日本人支援メンバーがレバノンから帰国。岡本公三氏の近況、レバノンでの受け止められ方などを聞いた。(編集部) 岡本公三氏の近況 時々は散歩に行ったりしてますが、外に出るときは、特に安全に気をつけています。例えば、車に乗るときは後部座席の真ん中にしか乗れません。イスラエルのエージェントや日本政府に雇われた国際誘拐団などを警戒しています。 岡本さん以外の日本赤軍の4人が送還された後も、日本政府は彼の身柄の引渡しを求め続けています。 ルミエ刑務所からの釈放直後は、とても緊張していました。「政治亡命」といっても何の権利も定められておらず、逆にレバノン政府が「思わしくない行動をとった」と判断すれば、いつでも政治亡命の取り消しが可能で、全く不安定な立場です。特に支援の私たちは、岡本さんの生活スタイル・病状を全く知りませんでしたので過敏になり、岡本さんに嫌な思いをさせたように思います。 しかし、所詮日本政府・イスラエル政府を相手に彼の生活の様子を隠し通せるものではありませんし、何をやっても手のひらの上だということで、逆に、楽しくアラブの人々と日本の人々との交流の場にしていけたら良いのではないかと考えています。夏には、盆踊りを、冬には鍋を囲んで懇談という計画も立てています。 アラブの中の「コーゾー・オカモト」 レバノンでは、5月30日にリッダ闘争に倒れた日本赤軍兵士のお墓参りをし、集会を行いました。炎天下の中、人々は草を切り払ってお墓の掃除をします。 今年の5・30集会では、岡本さんも奥平さん安田さんの墓参りをして、参加者1人1人と岡本さんが握手をしたのですが、この時集まった人々は、目の前にいる人が「コーゾー・オカモト」であることが信じられないという緊張ぶりでした。 直接岡本さんにあったレバノン人は、緊張で固まってしまいます。岡本さんが病気であることを知っているので、どう接すればいいのかわからないということもあるようですが、改めて岡本さんが「アラブの英雄」として伝説的人物であることを実感しました。墓参りの後、みんなでキャンプに向ったのですが、沿道の老人が、「岡本が帰ってきた」と涙を流していました。 私が日本にいる時、「岡本公三=犯罪者」としか聞いたことはなかったし、「アラブの英雄」といっても実感はなかったのですが、日本とアラブの違いをヒシヒシと感じました。 エピソードを紹介します。日本赤軍の5人が逮捕されたときに200人あまりのボランティア弁護士が駆けつけたのですが、そのなかの女性弁護士さん・ブシャール・アル・ハリーリ氏が、「私たちにとっての岡本公三とは何なのか」という話をしてくれました。 彼女が高校生の時は、イスラエルの攻撃が激しく、イスラエルは「アラブを食い尽くす怪物」で「崩すことのできない圧倒的な存在」と感じていたそうです。 その後リッダ闘争が起こり、この作戦がアラブ人ではなく東洋から来た日本人がやってのけたということで、世界中にパレスチナ問題をアピールすることになりました。彼女は、「初めてイスラエルが小さく見えた」そうです。この作戦に彼女はとても勇気づけられ、弁護士になる決意をしたそうです。 南部レバノンで「日本赤軍逮捕」のニュースを聞いた彼女は、その足でベイルートに走り、検事総長に逮捕に至った経過を厳しく詰問し、その場で弁護を申し出たそうです。その後の弁護活動でも彼女は、最も日本赤軍の政治性に触れる弁論を展開しました。日本赤軍によるリッダ闘争の意義を強調し、何のために旅券法を犯したのか?を問い、彼らはレバノン人の味方だ」との弁論を展開しました。 彼女の弁論の甲斐もあり、判決文のなかに「リッダ闘争をありがとう」という内容が盛り込まれています。 他の弁護士も、毎週面会に訪れ、両手に抱えきれないくらいの差し入れを続けてくれました。 岡本公三と彼の同志達の友人の会 レバノンの若い人が中心になって「岡本公三と同志達の友人の会」を結成して、支援を行っています。彼らはことある毎に「どんなことがあっても守らなければいけない」「それは、僕たちの義務だ」という言い方をします。「日本赤軍は、自分たちのために武器を持って闘った同志だ」「貧乏で金はないし、地位もなく、守り切れない側面もあるけど、守るのは当たり前のことだ」と言って、こちらがお礼を言うと怒るくらいです。 レバノンの政治状況については、彼らの方がよく理解しているので、安全確保は彼らにお願いしています。彼らは、ないない尽くしの中から食糧を含め、本当に献身的な支援をしてくれています。 彼らは、ほとんど20代ですから直接リッダ闘争は知らないのですが、日本赤軍とリッダ闘争は、親から子へと語り継がれているそうです。当初私も、日本との落差の大きさに信じられなかったので、何度かタクシーの運転手さんに「日本赤軍のあの人達って危ない人達でしょう?日本に帰ってもらった方がいいんじゃないですか?」とわざと聞いたことがあります。私が日本人だとわかるので、時々運転手さんの方から日本赤軍の話を持ち出されるからです。運転手さんの反応は、「何を言うのだ、彼らは、アラブのために闘った我々の同志だ。5人の内の1人は、レバノン人とルミエ刑務所で結婚式を挙げるらしいよ」というものでした。私は「へぇ、気楽なもんですね」と言って車を降りました。身近にいる支援者の人たちだけではなく、レバノンの一般市民の声を生で聞いてみたかったからです。 岡本基金 岡本さんは、これからアラブの地で生き続けます。ですから治療も含め長期的な支援−連帯の体制が必要です。アラブの人々が、何もない中でこれほど支援をしてくれているのですから、私達も何か力になることをしたいと思います。岡本さんの近況、レバノンでの連帯活動などドンドン発信したいと思います。500円でも1000円でも良いので、長く続けられるカンパをお願いします。(草木 風子) |
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人民新聞社
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