ブルジョア民主主義の限界は
疎外、貧困化ではない

渡辺雄三(渡辺政治経済研究所)

2000年 7月25日
通巻 1050号

 1848年に書かれた共産党宣言の中で、「労働者革命の第一歩は……民主主義を闘い取ることである」とマルクスは言っています。これはブルジョアジー (市民・農民)が資本主義の発展によって二極分解され、貧富の差が拡大していくにつれてプロレタリアートが相対的に増え、それで彼らが社会の多数派になることを想定しています。
渡辺雄三さん(渡辺政治経済研究所) だが、1848年の革命はマルクスが当初想定していたこととは違った展開となります。フランスにおける1848年2 月革命に参加した庶民の主な要求は普通選挙権の獲得でした。当時、選挙権は富裕層に限定され、戦前の日本と同じように、一定金額以上の税金を払っていない者には選挙権がありませんでした。
 革命後、さまざまなプロセスを経て男子の国民全てに選挙権が認められる普通選挙権制度が実現します。だが、この制度はナポレオン3世の帝政を生み出します。
 ナポレオン3世は帝政を布くに当たって議会を解散しますが、皮肉にも普通選挙制度が議会を圧し潰してしまいます。なぜ、こんなことが起こったのか、それを明らかにするためマルクスは「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日」を書きます。
 そこで彼は、ブルジョア社会から疎外されたプロレタリアートや、疎外されたと思った下層の農民・市民がこの状況の変革を諦め、自分たちの外に彼らの願いを実現してくれる英雄を求めた、と指摘しました。それがナポレオン3世でした。こうして、ブルジョア社会の発生とともに生まれた疎外が民主主義を踏みつぶします。
 疎外とは人が自分の個体性を自分から分離し、それを他人に譲渡することです。自分の個体性が詰まった労働生産物を他人に売ろうとするとき、その生産物を他人がいくらで買ってくれるのかを売り手は想定します。このとき、売り手は買い手の価値を計る物差しを頭の中に思い浮かべ、それで値付けをして交渉に臨みます。これが自己から分離させた個体性を他人に譲渡するための準備であり、疎外を生み出す原因となります。
 彼の叔父ナポレオン・ボナパルトは、革命によって領主の土地を占拠した農民に土地の所有権を保証し、フランスに自作農制度を創設します。これが分割地農民の成立です。彼は皇帝となり帝政を布くや、新たにフランス国民の多数派となった分割地農民の守護神を以て自らを任じます。こうして、封建的土地所有の解体に恐れをなしてナポレオン帝政打倒に走った反動勢力をヨーロッパから駆逐し、分割地制度を国境を越えてヨーロッパ中に広げようとの皇帝ナポレオンの呼びかけに応じた分割地農民は軍隊に応募し、銃を肩にヨーロッパ中を席巻しました。
 この叔父のイメージを事あるごとに利用して帝政をフランスに再現しようとしたのがナポレオン3世でした。
  マルクスはこうしてブルジョア民主主義の限界としてブルジョア 社会における疎外に注目することになります。そして、疎外のない社会を求めて彼は社会変革について思いを巡らすようになります。
 ブルジョア(市民)社会は公私の分離を前提にして成立しています。経済社会において、全ての個人は自由に私的な利益を追求することが許されるのがブルジョア社会です。だが、市場経済は国家によってその価値を保証された貨幣を必要とします。
 それで、社会の成員全ての利益、すなわち公共の利益を代表し実現する国民国家が必要になってきます。この国民国家の原理がもたらしたものが平等な諸個人の意思を決定する仕組みである「1人1票制」民主主義の制度化であり、代表制による議会、議会が決定した意思を実現する行政府、訴訟を裁く裁判所という3権分立制度でした。
 こうして、民主主義の政治とは人を等質の数として扱うので、諸個人が持っている個体性の否定という前提の上に成り立っています。このブルジョア民主主義の欠陥を巧みに突いて帝政を布いたのがルイ・ボナパルトでした。
 レーニンは「2つの戦術」の中で、ブルジョア民主主義の限界として マルクスの1848年革命以前の認識に依拠して、「資本主義の発展によるブルジョアジーの2極分解、プロレタリアート の多数派化」をその根拠に挙げていますが、これはナポレオン 3世の帝政以降の マルクスの認識とずれています。日本の大多数の左翼もこのレーニンの認識にいまなお依存していますが、いつまでもレーニンのこの認識を引きずっていると、彼らは政治の世界からますます取り残されていく危険に現在直面しています。
 人々の個体性の無視の上に成り立つブルジョア民主主義の欠陥を根本的になくすには疎外をなくすこと以外にありえませんが、これは商品交換における一般的等価物の表象としての貨幣を計算手段としての機能のみを果たす貨幣──これは例えば地域通貨としてすでに実現しているが、一般的等価物としての貨幣の補助的手段であってこれを置き換えるものではない──に置き換えていくことによって果たされるので、長期間かかることを私たちは覚悟しなければなりません。
 個々の人が持っている個性をその人から切り離して外在化させ、その個性を他人が持っている物差しで評価し交換するという商品交換をなくさない限り、疎外はなくなりません。
×  ×  ×
 もっと詳しく知りたい方はニュースレターをお読み下さい。月2回刊・1000円(送料共)/渡辺政治経済研究所 郵便振替00920-9-109084

[ 「時評短評」トップへもどる

人民新聞社

このページは更新終了しております。最新版は新ページに移動済みです。