■他者に対する無関心の風靡現象
現在、我が国の完全失業者は三百数十万という戦後最高の水準を推移し続け、企業の倒産・合併もとどまるところを知らず、日に1000人近くが自殺を試み、生死の境をさ迷っている(そのうち、ほぼ90人が自殺を遂げている)。一方、昨年には戦後初めて、殺人罪の少年検挙人員率が成人のそれを上回り、殺人を含めた少年の凶悪犯罪率はここ10年間に3倍にも達しており、しかも少年犯罪の中でも犯行主体の低年齢化が急激に進んでいる。10年に及ばんとする戦後未曾有の不況の中で、地域共同体・家庭の崩壊による人心の荒廃は極に達している。
いずれも衝撃的な数字だが、これらの数字は事態の氷山の一角を示す指標に過ぎない。例えば、完全失業者数は、我が国の統計の取り方から見て含まれない裾野が広いし、むろん正規社員のパート化や半失業者は含まず、完全失業者も従来とは質が異なり、リストラによる非自発的離職者が多いとか、長期失業者が多いといった具合である。
このような状況で、窮境に陥った人々は、ほとんど組織的抵抗も示さず、また労働側の組織も既得権を保守するのに汲々として積極的に取り組む姿勢とは無縁である。他方、半数をはるかに越える労働者が、失業の不安に怯えながら、災禍が我が身に及ばぬ限り、我が身と家族を守るべく他人の不幸に想像力を閉ざし、まるで何もないかのように淡々と密かに暮らしている。カフカ流に言うならば、まるで「絶望できないということにさえ絶望できない」かのようである。今、もっとも問題なのはこの〈他者〉に対する無関心と現実の激変の実態を直視しようとしない想像力の欠如なのである。
むろん、このような無関心と想像力の欠如を成り立たせている一因には、失業・倒産・自殺・(少年)犯罪が、個々にはよほど顕著な特徴を備えてでもいない限り、もはやマスメディアの報道の対象にすらならないことも挙げられるであろう。
だが、(他者に対する)無関心の風靡という現象は、程度の差こそあれ、我が国固有の事態ではなく、欧米諸国ひいては第三世界にも広く見られる現象である。世界的な貧富の差の拡大を精力的な膨大な聞き取りで記録したフランスの社会学者ブルデューの大冊『世界の悲惨』と並び、ヨーロッパで広範な人々の共感を呼んだ、内橋克人が「『人間排除経済』を礼賛するすべての市場至上主義者らへの峻厳にして容赦なき闘争宣言である」と絶賛したフォレステル女史の『経済の恐怖』でも、失業者の抱く恥辱感と周囲の冷笑により、如何に無力感とニヒリズムが醸成され蔓延するかが如実に描かれている。これが、我が国でも少子化と政治に対する無関心を支える土壌の強固な一角をなしていることは確かである。私も巷間で、中高生が「あいつの親父リストラになりよったんや」と声高に冷笑し、それを得も言えぬ表情で中高年の男性が力なくチラッと見遣る風景を幾度が目にしてきた。この無関心の壁をこそ打破することが、現下の緊急の課題であり、それを経済学・社会学・政治学は、「公共空間の創出」「セーフティネットの形成」「連帯」「ラディカル・デモクラシー」という形で懸命に取り組んでいる。
■グローバリズムは、いつ何処からきたのか
ところで、旧来の個人商店が住み慣れた街角からどんどん姿を消し、企業再編がみるみるうちに進行し、既成の制度がドミノ式に崩落し、社会的価値観が壊乱し、犯罪が急増する激変は一体いつ何処から来たのだろうか。
日本では、バブル崩壊以後、金融自由化・各種規制緩和が行われた1990年代、特に
が急速に普及する一方で大型倒産が続発し、金融政策が迷走を続ける1990年代後半というのが庶民の漠然たる実感だろう。人により、立場により、その起点を自民党の単独支配が崩壊した1993年の、いわゆる55年体制の終焉に求める者もおれば、ソ連邦の崩壊に求める者もいる。人々は政治の腑甲斐なさに幻滅感を深めていく一方で、官僚機構・企業社会・教育・医療・福祉・警察などで既存の枠組みがヒビ割れていく様をまざまざと見せつけられ、市場主義という名の経済合理主義・利潤第一主義が席捲し、ひたひたと身辺に押し寄せてくるのを、切実に実感しているであろう。我が国では、それが政府の通貨政策・外交に発する内政・金融政策の転換という外見的性格が強いため、事態の根因が把握しにくく、事態の世界同時性と複雑な構造が一般に見えにくいのは否めない。したがって、事態の由来が「外圧」だという印象を深めるのも無理からぬことである。
一般に、マスコミ・アカデミズムは、これを「グローバリズム」、あるいは「グローバリゼーション」という。この言葉の起源は、通常の感覚では1960年代の環境保護運動のThink
Globally, Act Locally(地球全体のことを考え、地域から行動を起こせ)というスローガンや、カナダの社会学者
・マクルーハンの電子メディアの技術革新による世界構造と認識の激変を予言した「グローバル・ヴィレッジ」という用語に起源を求めるべきであろう。この点で、〈グローバル〉という言葉が「地球環境」の保護と「コミュニケーション・テクノロジー」の革新とに深く結びついていたことは記憶にしかと留めておくべきである。
また、実際に「グローバリズム」という言葉が誕生した第二次大戦中の時期に、歴史家
・トインビーが初めて「ポストモダン」という語を使い、事実上今日のグローバリズムの意味内容に近い「世界の一元化」を展望し、哲学者
・ヤスパースが第二次大戦の深い悔恨と戦後世界の展望を「グローバリズム」という用語を用いて語っていたことも忘れるべきではないだろう。この意味では、グローバリズムとは来るべくして来たともいえるだろう。例えば、各国の市民運動・環境保護運動・労働運動・農民運動が激烈な抗議を展開している
への加盟を意欲的に進めている中国では、今一番熱く語られる言葉はグローバリズムであり、グローバリゼーションであり、アメリカの覇権拡大を警戒する少数の消極派にさえ、これはもはや止められない現象であるという認識は共有されている。
■アメリカンスタンダード強化に加担してはいけない
にもかかわらず、私は「グローバリズム」「グローバリゼーション」という用語を頻用することにはためらいがある。それはトインビーが、このような「世界の一元化」という現象が歴史的に見て20世紀後半固有の現象ではないことを知悉しながら、敢えて「グローバリズム」「グローバリゼーション」という言葉を使わず、「ポストモダン」という言葉を不安を込めて語ったことに深くかかわっている。
我が国では、1980年代に一世を風靡した言葉は「ポストモダン」と「国際化」であった。この「国際化」という言葉が、1990年代に入って一斉に「グローバリズム」「グローバリゼーション」に切り替わったわけだが、今一度、記憶を新たにしてもらいたい。その中間の時期に「ボーダレス化」という言葉が人口に膾炙した1980年代末から、1990年代初頭の時期があったのである。
なぜ、このような言葉が使われたのか。それはこの時期に日米構造協議が行われたからである。つまり、第三世界諸国が「グローバリズムは常に先進国からやってくる」と揶揄するのに象徴されているように、アメリカは常にスローガンや情報面の地均しから始めてくる。グローバリズムもまたそのように戦略的に広められた用語であることは否定し難い。つまり、我が国ではグローバリズムという言葉が普及する前に、日米構造協議が行われたのである。不用意に、この術中にはまり、反グローバリズムを声高に叫べば、かえってグローバルな現象の肯定面を見失い、悲観主義に陥り、これが「もはや止められない流れ」であるという無批判的で不毛な諦観によってグローバリズムの一面に過ぎないアメリカン・スタンダードの強化に加担することに繋がる。
我が国の場合、「グローバリズム「」グローバリゼーション」を云々する前に、学者は特に経済学者はバブルを総括しなければならない。バブルが招いた「精神の瓦礫」「社会の荒廃」の総括を抜きにして、
革命の音頭を取っているなどはもっての他である。彼らがそれを避けるのは、バブルこそ日米関係の実態と、日本の政治・経済構造の本質をさらけ出すものだからである。
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