ある性同一性障害者の死 

故・山口健二氏を悼む

埼玉県・藤波光雄

2000年 12月15日
通巻 1063号

 1999年6月12日未明、ある性同一性障害者「女性」が肺炎で亡くなった。享年73。
 彼女こそは、戦後日本における革命運動の生き証人の一人であった。皇軍を脱出して敗戦直後にアナキズムの運動にとび込む。運動分裂後は日共を経て社会党にもぐり込み社青同の創設者となった。世界民青連日本代表。三池炭鉱闘争では大正行動隊に加わる。自立学校から東京行動戦線。無政府共産党。火炎ビンよりアンモニアぶっかけの方が効果があるらしい。善隣学院闘争、羽田闘争……。歴史的に重要な闘争に、つねに関わり続けていた。
 永続革命家としてのチェ・ゲバラとその思想を初めて広めたのも彼女(ら)である。安保ブンドとの関わりから、新左翼諸党派からは顧問として迎えられていた。地下に潜った労働者たちを軍事訓練。ML同盟結成を呼びかけ、日大闘争、東大闘争など全共闘運動にもみずから積極的に関わっていった。アスパック闘争。脱走反戦米兵を漁船でソ連艦へ送る。華青闘の告発を支援。中国へ渡り、文革急進派と共に北京で投獄された。帰国後、日本各地へ散って土着していた人々と地域闘争を戦う。「新地平」編集委員。「労働情報」発行にも関わっている。
 国内では各セクトが手を組んで拘置所を襲撃し、パレスチナの日本赤軍との連帯の下、反日派の政治犯全員を国外へ脱出させる計画は、DFLPの反対で幻となった。1988年のアナキスト連盟再建と同時に運営委員に加わり、ポーランドの革命運動にも参加していた。(以上、聞き書き集の『戦後革命無宿』私家版による)
 「彼女」の名前は、肉体と戸籍が男性であったため山口健二(ペンネーム・海原大介、青江峻ほか)という男性名であった。
 性同一障害とは「身体(からだ)の性別(sex)とこころの性(gender)との間に食い違いが生じ、それゆえに何らかの障害≠感じている状態」。日本精神神経学会の『性同一性障害に関する答申と提言』では「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性に所属しているのかをはっきり認知していながら、その反面で、人格的には自分が別の性に属していると確信している状態」と表現している。精神医学における疾患単位名」である。(「性同一性障害者も生きやすい社会を!資料集〈改訂第二版〉」 TSとTGを支える人々の会編、による)
 ありていに言えば、山口健二氏は自分自身を(その全てを)、100%の女性だと思っていたのだ。若い頃からそうであったし、老境にさしかかってからも、性転換手術を望み、そして果たせなかった。
 性同一性障害が先天性の精神疾患として社会的認知を得はじめたのは、ごく最近のことである。マスコミ等も取り上げるようになり、自民党内でも勉強会が開かれ、保岡法務大臣までが出席した。しかし、一般大衆の次元では、性同一性障害者たちは「オカマ」「オナベ」「ニューハーフ」等と呼ばれ、物珍しさも手伝って、普通の人≠ニして一般市民と全く同じ扱いは受けていないのではなかろうか。
 戦後世界の社会運動、革命運動のさ中に在って、彼女が自身の想いをカミングアウトする(公に告白する)のは、事実上は無理だったと思う。私は、彼女とのつきあいがあった者の一人として、「死後、私が女だった事実を公表して欲しい」旨の口頭での遺言を実行している。性同一性障害者、性障害者へのあらゆる差別とハラスメントが永久にこの地上から消え去ることを願い、革命に生涯を捧げた一女性の冥福を祈るものである。

 

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