存在意義が問われる
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園田苑・中村大蔵 |
1999年 8月15日
通巻 1018 号
今やホームヘルパー養成花盛り。ホームヘルパーは産めよ増やせの粗製濫造時代。ホームヘルパーになったものの、身を削りながら働いて、役に立たなくなったらポイ捨てられる。まるで消しゴムのようである。 あるホームヘルパー養成講座でこのように述べると、「そう!」と言って拍手をしてくれた女性は人口40万の都市社協に属するホームヘルパーであった。彼女は、2級から1級を目指して受講している。現在2級ヘルパーとして働きながら、1級コースを受講している。 続けて、彼女は言う。「1級とて2級とて、私のポジションの軽重になんら関係ない」。聞いてみると、どうも直属の上司がホームヘルパーの仕事を、在宅介護の単なる助っ人としてしか理解していないようである。だから、彼女が「こんな勉強しても虚しい」と答えたのはよくわかる。 仕事がらホームヘルパー養成講座の講師依頼がしばしば舞い込んでくる。出来るだけ断るようにしている。なぜならば、批判している養成過程とその粗製濫造システムに手を貸しているのは、犯罪的ではないかと思うからである。 受講生に感想を聞くと、講師によっては面白くもなんともないのがあると言う。その講師の多くは行政職にある者のようである。「高い」受講料を払って来た人たちは、この講座を終了すれば自動的に1級から3級までの「認定資格」が転がりこんでくるから、ただひたすら辛抱して聞いている。学びの場で、悲しいことである。 それでも、養成講座の講師を引き受けるのは、今のホームヘルパーの現状を打破するホームヘルパーが、ひとりでも生まれてくれることを期待するからである。 彼女が所属している社協にも問題がある。社協とは社会福祉協議会の略称である。私も社協が何たるものか、当初はわからなかった。 その昔、地域住民の寄り合いで、とうに60才を越えたと思われる老人から、「尼崎はシャキョウが強い…」という発言をよく聞いたものだ。 「シャキョウ、シャキョウ」という発言に、さすが労働者の街「尼崎」、こんな老人でも日常的に「社共」「社共」と口ばしるのだと思い込み、聞いていたが、どうもその後、話が合わない。 「名前はドデカイが、その実態は得体の知れないもの」とか、「社協は第2役場に陥ちている」、「何もしない社協は潰れた方がいい。住民にとって邪魔だ」と、郡部のある町で発言した。この町は全国社会福祉協議会ご推薦の、優良単協であった。そんなこと露知らずしゃべったのが悪かった。 列席していた町長、教育長、社協会長は烈火のごとく怒り、「あんなヤツをシンポジストに呼んだのは誰だ!」といきまき、私を呼んだ彼は、今も町当局とは犬猿の仲である。それでも、私の発言に会場後方にいた保健婦が手をあげ、立って、「今の中村さんの意見に賛成です」と発言した。人口6千の過疎地である。彼女の後の消息は聞いていない。 尼崎に来て、その翌年から住んでいる町の町会役員を務め、数年後に会計監査の任を果たした。その当時、なんの自覚もなかったが、それが尼崎市社協組織の末端社協だった。 だから愛を込めて「何もしない社協は解体した方がよい」と、自信をもって発言する。 世をあげての介護保険時代、ホームヘルパーもシャキョウもその存在意義が問われている。 |
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人民新聞社
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