去りゆく人の前で

─「臓器移植」を問う―

蓮月

1999年 10月5日
通巻 1023 号

 近年、着実に臓器移植が行われ、最近は、移植された患者の臓器をまた別の患者に移植するという「ドミノ肝移植」や、2つ以上の臓器を1度に取り出す「多臓器移植」なるものまで現れるなど、急に勢いづいてきたように思う。
 だが、このようなことがどんどん行われていけば、どうなるのか。
 まず、生体移植について考えてみよう。
 先日も、難病の子どもに、母親が肝臓を提供するという記事を目にした。だが、誰もがその母親のように心身共に強いわけではない。愛するわが子を救いたい気持はあっても、肝臓の一部をとれば、自分の体はどうなってしまうのだろう、と不安を感じて決断できないでいる母親が、いさぎよく提供している母親と比べて、私は子どもへの愛情が足らないのでは……?と、自分を責めてしまうことにならないだろうか。
 それに、腎臓は一つ取っても生きられるというので、日本人患者がフィリピンの囚人から腎臓を買ったこと、インドでも盛んに臓器売買が行われていること(法学セミナー1993年6月号・粟屋剛「フィリピンにおける臓器売買」より)を聞くと、これはもう個人的な感情の問題ではすまず、南北問題や階級差別の問題としてもとらえなくてはならなくなってくる。
 次に、脳死移植について考えてみよう。月刊「サピオ」1998年11月11日号に掲載された「年間2万体を公然と商うロシア『人体ショップ』の驚愕」の記事に、私は思わず釘づけになった。ロシアでは、行き倒れ、犯罪の犠牲者などの人体から臓器や血管、眼球を取り出しては、各国の医療機関に売りさばくという。掲載された写真には、医師が無表情で死体を切り刻んで臓器を取り出す姿や、いかにも無造作に転がっている死体のそばで、職員が淡々とワープロを打つ姿が映し出されている。別室には、何十もの血まみれの全裸死体が、まるでナチスによるユダヤ人大虐殺のように積み上げられているのだ!
 実は十年前の1988年、「BIO」という名の「人体ショップ」は、ありとあらゆる臓器と組織を加工、製品化し、年間2万体を売りさばく「死体ビジネス」の大手企業に成長していたという。それが、国内外のマスコミに一斉に取り上げられ、96年、閉鎖に追い込まれることに。ところが、その閉鎖したはずの「人体ショップ」が、実は生き延びていたというわけである。おまけに、ロシアでは経済危機のため、ますます身元不明の死体が増えるとなれば、アウシュビッツもどきの「死体ビジネス」は盛んにこそなれ、すたれることはなさそうだ。
 一方、同レポートによると、現在の「人体産業」、つまり臓器売買の中心は米国とのこと。人体部位の加工・販売が禁止されていないため、米国の「人体産業」会社は五百以上。部位の相場は、アキレス腱が3500$、心臓弁が7000$など、「今や米国経済を支える一大産業」とのこと。ロシアと違い、ドナーが多い、つまり自分の意志で決めたということはあるが、死体ビジネスには変わりない。似たようなことが、よりクリーンな形で行われているわけだ。日本の病院と取り引きのある企業もあるというから、恐い話はいよいよ身近になってきた。
 ところで、聞くところによると、人間、一番最後になくなるのが聴力だとか。たとえ生前にドナーの意志表示をしていたとしても、死の間際に決心が変わることもある。回りで移植の話をしているのが聞こえても、それを伝えることはできない。また、息を引き取る際の、まだ体の温もりがある時に、残された者がその手を握り、体にふれて別れのひとときを過ごしているその側で、医師が「あの生温かい内に臓器を取り出さねば、傷んでしまう!」などとイライラしながら待機しているとしたら…その光景を、あなたは人間としてどう見るだろうか…。

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