グローバル資本主義の中東支配に
抗するアラブ規模の戦線を形成せよ!

1999年9月5日  日本赤軍・重信房子

1999年 10月5日
通巻 1023 号

 残暑お見舞い申し上げます。もう9月ですから、残暑ではないのかもしれませんが、こちらはまだ夾竹桃の咲き乱れる夏です。
 人民新聞で、記事を書くよう催促されているのを読みました。こちらまで記事を呼びかけてくるのは記事が足りないのかなあ……などと余計なことを考えつつ、71年以来交流してきた貴紙の連帯に感謝しつつ、挨拶を送ります。

 今も、我が同志たち5人は、レバノン人民支援の熱い連帯を受けながら送還阻止の闘いを繰り広げています。
 「岡本と友人達を支援する会」のレバノンの若者たちは、獄中5同志たちの描いた絵の展覧会をレバノン各地で行いながら、送還阻止を訴えています。この若者たちは、今年2〜3月のイスラエルの空爆攻防のとき、内部のイスラエルと結託したSLA(南部レバノン軍)占領地域でトーチカ攻撃にもひるまず、有刺鉄線を切断して占領された村の解放を行うなど、村人たちと連帯してがんばってきた人々です。このことで、レバノン大統領から表彰されました(イスラエルに対して闘ったら表彰されること自体、日本では考えにくいでしょう)。
 歴史的に築いてきた連帯は政府の様相が変わっても人民の中で世代を継いで若者たちへ引き継がれている姿に、闘いは人々をつなぐこと、連帯のありがたさを実感します。ただ私たちが、レバノン人民の連帯の志を日本の人々に伝え、共に闘う基礎を作れていないのが残念です。これは、闘いの条件が違うという側面と、私たち自身が国内の人々と連帯する条件を十分作ってこなかった結果と反省しています。
 5人の「刑期」の満期は2000年3月7日です。日本政府は、レバノン政府への援助をちらつかせて送還阻止と連帯への妨害をエスカレートさせています(大使館は進歩的人士に至るまで面会を申し入れ、「JRAは、犯罪者で国内では嫌われもの。支援すべきではない。政府とJRAどっちを取るのだ。」とオルグ活動を大使自ら展開中)。
 この間、中東の地では、和平プロセスが新しい段階を迎えています。パレスチナと、イスラエルの間でワイ合意(昨年10月、アメリカ政府の仲介とアメリカ療養中のフセインヨルダン国王の在席のもとで、当時のネタニエフイスラエル首相とアラファト議長とで合意した)を再度軌道に乗せるため新たな合意が発表されました。

1、シャーメル・シェイハ合意

 9月2日、ムバラク大統領をホストとし、オルブライトアメリカ国務長官、アブダランヨルダン新国王在席の下で、昨年10月のワイ合意に基づくランド・フォー・ピース(「平和と土地の交換」によって中東地域の安定を作ると言う意味)のプロセスを進めることに合意するセレモニーが、エジプトのシャーメル・シェイハで行われました。
 その基本合意内容は、被占領地西岸の11%にあたる土地からのイスラエル軍の撤退を来年1月半ばまで2段階に分けて実行すること、拘束されているパレスチナ人政治犯350人の釈放など、ワイ合意の修正的実施によって和平プロセスを再開しようというものです。もともと去年のワイ合意では、750人の政治犯釈放が確認されていましたが、ネタニヤフ政権は250人の釈放しか行いませんでした。パレスチナ当局側は、今回650人の釈放を要求しており、イスラエル側は350人の釈放を認めました。
 今回の交渉は、政治犯の釈放問題に焦点が集中し、イスラエル軍の完全撤退問題やセツルメント問題は背後に追いやられています。
 CNNやBBCが日曜日の朝、笑み満面のオルブライトやバラクの大写しと、釈放予定の青年の母親の喜びの表情を流し続けていましたが、西岸各地ではこの合意に反対するデモがくりひろげられていました。2200人といわれるパレスチナの獄中者が無視されていることに対する抗議です。エルサレムではゼネストが行われたと伝えられています。エルサレムのオリエントハウス前ではエルサレムの獄中者の家族親族が5日間座り込みを続けていました。

2、中東和平の現段階の特徴

 特徴的には、第1に、バラクイスラエル新首相になって、アメリカとイスラエルの歩調が整いだしたことです。
 和平を巡ってユダヤ人の間で路線闘争が激化していましたが、グローバル資本の意向を代表する労働党路線が、今再び軌道に乗ろうとしています。グローバル資本の中心をなす国際ユダヤ資本は、中東全域の経済支配を目指してオスロ合意、マドリッド会議を経て、「ランド・フォー・ピース」の政治イニシアチブと並行して、アラブ・イスラエルの経済協力体制を中東地域に打ち立てるべく中東経済会議を発足させてきました。
 しかし、ラビン首相暗殺後に登場したネタニエフ政権は、「イスラエルの安全」を盾に和平を滞らせてきたために、グローバル資本にとって弊害となっていました。国際ユダヤ資本の意を政治的に実現するクリントン大統領は、イスラエルの選挙期間中、バラク陣営を支援するためにアメリカ大統領選の自己のブレーンスタッフを送り込んで労働党政権の誕生を支援してきました。アメリカの中東政策と共同歩調を取りやすい体制が作られています。
 第2に、オスロ合意に反対していたパレスチナ勢力が、「拒否」から「反対」へと姿勢を転換しつつ被占領地内の政治過程に組織として野党的役割を果たし始めたことです。
 イスラエルとの交渉を有利に進めていくために、アラファト議長はハマスなど「和平」反対勢力を武力で弾圧してきましたが、ますます指導の困難に直面していました。イスラエルからの譲歩が得られないまま、武装闘争への弾圧を繰り返すだけでは人民の支持を得られないために、かつてのPLO内のアラファト反対勢力を統合しつつ、救国的視野でイスラエルに対峙することが政治的に問われました。
 一方、アラファトの政治基盤の確立と反対に、オスロ合意拒否を宣言した拒否勢力は、困難に直面していました。実体的には、被占領地には政府機能が徐々に確立されていくなかで、建国に向けた政治的立場と被占領地、パレスチナ自治地域内部に指導力を実現することがますます問われたのです。
 第3に、オスロ合意の内容が問われ出していることです。
 これまでのネタニエフ政権では、オスロ合意の実施が大幅に遅れ、実質的に無視されてきました。逆に西岸でのセツルメント建設を推し進めるなど、合意に逆行する政策を実行してきました。
 オスロ合意で曖昧に合意した点として、パレスチナの首都問題(パレスチナの首都をジェルサレムにすることをイスラエルが断固拒否し、交渉に値しないとしている)、国境線を巡る問題、難民帰還の問題(イスラエルは帰還を拒否し、難民のいるアラブの国の国民となるべしとしている。アメリカなどはそれを支援推進し、パレスチナ人の人口増加を防ぎ、イスラエルに有利にしようと国連に働きかけている。各アラブ諸国は国籍を与えることで問題を解決することを拒否している)。
 湾岸戦争でイラクを支援したことで孤立したアラファト派は、イスラエル承認と引きかえに部分的なパレスチナ建国に向けた直接交渉を個別に開始してオスロ秘密合意に至りました。合意不可能な議題は議題とせず曖昧にしてきた点が、今政治的な国際的認知を得たなかで、具体的に問われ始めています。今後、アラファト議長は救国的勢力の統合で、統一を軸にオスロ合意の具体的な内容を巡って政治生命を賭けたイスラエルとの駆け引きを進めようとしています。それらは、各々の目的意識性が違うために、違う質の攻防をまた生み出すでしょう。

3、イスラエルに対するアメリカの役割

 クリントン政権になって以降、史上初めてユダヤ人のアメリカ大使が任命されたように、政権の成立からユダヤロビーをバックにクリントンは政権維持を行ってきました。ヒラリー夫人は、アメリカで逮捕され終身刑にあるイスラエルのスパイ、ホナサンの釈放送還を示唆しています。アメリカの国益より、ユダヤ資本イスラエルの同盟を第1に政権基盤を維持しているせいです。
 クリントン政権は、2000年までに中東和平の一定の実現で民主党大統領再選を目指し、2000年9月までにパレスチナとイスラエルの「最終的解決」を計るというスケジュールをワイ合意で規定し、全体はその意向を反映して進んでいます。
 現在のアメリカの政策は、「市場民主主義」の地球大の実現を政治理念として、冷戦以降の世界の構造的再編を急いでいます。それは必然的に市場に人間社会を隷属させ、グローバル資本の自由に基づいて国家と社会を再編することを意味しています。アメリカ等の意向で作られる国際法や国際機関の決定に各国の主権を従属させ、従わないと暴力で解決するという数世紀前の十字軍のやり方で軍事力を頼りに強制することによってますます世界を無秩序に導いています。
 このアメリカの戦略は核、技術、情報独占に基づく「予防戦略」として軍事を軸に各地域の戦略的同盟国家と不可分な軍事的、経済的一体化を進め、地域をグローバル資本の経済的利害を軸に支配していきます。反ソ反共戦略の冷戦時代からアジアにおける日本以上にイスラエルの役割は、アメリカにとって重要な位置を占めていました。アメリカ内ユダヤ資本の位置が大きいからです。資本の自由を保障するためには、アラブ―イスラエル対決を解消させ、イスラエルの情報技術・軍事大国化を軸に、中東全体を経済支配するグローバル資本の意図がアメリカの和平関与として表れています。
 アメリカとイスラエルの同盟的役割は、今後ますます深まるでしょう。各国の内的成長を無視した「市場民主主義」の強制は、望むと望むまいと各地域に無秩序を拡大し、その結果に再び暴力的介入を図るという矛盾の拡大で世界は無秩序を継承して二一世紀を迎える様相にあります。

4、パレスチナ勢力の転換の兆し

 オスロ合意に反対してきた勢力の転換を象徴するものは、8月にカイロで相次いで行われたアラファト議長とPFLP、DFLP代表との会談です。DFLPのハワトメ議長とアラファト議長会談では、イスラエルとの最終的解決に向けた今後の交渉にパレスチナ側の統一戦線を形成すること、そのためにすべての被占領地内、海外パレスチナ人を代表する勢力の再結集の条件を作る方向で合意しています。ハマスなどイスラム勢力も含めた反対勢力の参加を呼びかけています。
 ファタハとDFLPの共同声明では、「PLO執行委員会が最終的合意を監視する役割を担うだろう」と、PLOの復活再生を軸にパレスチナ勢力の統一を目指しています。さらに、建国を実現するために急ぎパレスチナ勢力の統一を目指すこと、パレスチナ―イスラエル問題の最終合意が行われる際には、離散した難民を含めた国民投票を行う可能性も討議した点を共同声明は明らかにしています。また、イスラエル政府への要求として、イスラエルの入植を止めること、67年以降に占領したアラブの土地の返還要求を共同声明で表明しています。こうした動きは統一を進めることができるでしょうか。
 今年中に西岸のラマラーで反対勢力が、イスラエルとの「最終合意」にむけたパレスチナ共同関係を討議する包括的会議をもつと予想されています。2000年9月までにパレスチナとイスラエルの「最終的解決」をするというスケジュールのなかで、アラファト側も反対勢力も新しい模索を始めています。
 オスロ合意やマドリッド会議への流れは湾岸戦争の結果、新しい闘いが求められて生まれてきたものです。
 89年以降の社会主義の崩壊は、民族主義政権、解放勢力を支援していた国家群が崩壊したことを意味し、武器の供給に至る困難を抱えていました。91年の湾岸戦争は、アメリカの圧倒的な軍事技術力を見せつけ、人民の反米の意思があったとしても正規軍による同じ方法で対峙することができないことを示しました。しかし、物質力が弱いとしても、対等な権利を主張する立場を変えたわけではありません。
 主権を守りながら包括的な中東の新秩序の形成に、政治的に呼応しつつアラブの権利を獲得していく、いわば柔構造に対応した体制として問われました。そのあり方を巡ってPLO内の分岐ができたとも言えます。
 PLOは、パレスチナ組織の統一戦線体で指導機関としてあり、パレスチナ憲章に基づいてその枠での役割を果たしていました。PLOの綱領的基盤は、パレスチナ憲章の「全土解放路線」にありました。しかし、アラファト議長の率いるファタハが他のPLO組織に秘密にイスラエルと交渉し、全土解放路線を放棄し、イスラエル承認を前提とするオスロ合意を発表したために、PLOの中からアラファト路線反対の拒否勢力が形成され、PLOとしての機能が崩壊していました。その後イスラエルとの直接個別交渉を通して、国際外交や被占領地内での住民投票などでアラファト議長が合法的な立場を確立し、PLOはなし崩しに形骸化していました。
 アラファト議長とシリアなどアラブ国家レベルでの基本的相違は、イスラエル国家を認めるか否かということではなく、アラブレベルの包括的和平か、それともイスラエルが要求する直接個別交渉の推進か、という点にありました。オスロ合意以降、イスラエルと直接個別交渉に突き進むアラファト路線への批判としてありました。
 こうしたアラファト批判国家・批判勢力は、侵略や軍事挑発をさせない正当な政治的な闘争を中心として「国連決議の無条件履行」を求めながら闘い、かつ不当な占領にはゲリラ的に対峙する南部レバノンの闘い、被占領地の闘いとして続きました。
 イスラエルとの個別直接交渉の政治進展を条件として、資本主義勢力が中東マーシャルプランと銘打って中東経済会議を軸にパレスチナのインフラ支援、行政機構の確立とアラファトの政治的地位の国際的向上などとして進行していきました。
 被占領地内のファタハ以外のPLO各勢力は、各個人が議会などで政治的攻防を繰り返しつつ野党的な役割を実現してアラファト議長の妥協に対する批判、独裁的なあり方の改善、機構の民主化要求など、実体としては攻防を持続しつつ、被占領地内の組織としての役割を拡大していきました。
 こうした被占領地内での政治攻防を経て、組織としての役割を宣言する時期として、新しいイスラエル首相バラクとの交渉に加わる意思を示すものとして8月1日、PFLPとアラファトとの対話、8月31日、DFLPの合意が発表されています。
 全土解放武装勢力ハマスを非武装化するためには、PLOの旧勢力の力が必要だったアラファト議長と、建国に向けたパレスチナ人民の闘いの場に政治的組織的基盤を必要としたPFLP、DFLPの相互の当面の利害がPLOの復権として展望されています。
 しかし、反アラファト8組織のうち、ハマスなどは、まだ意向を表明していないし、ワイ合意に対しては、PFLPも批判を表明しており、統一を目指しつつ路線を巡る攻防は激化していく様相にあります。
 基本的には、シリアレバノンの和平プロセスの進展と連動し、パレスチナ建国を巡る攻防を救国的な政治勢力の結集として進める限り、イスラエルとの対峙を有利に創り出す条件が生まれるでしょう。
 その中で、アラファト路線と違う人民戦争路線を闘ってきたパレスチナ革命がその要素を継承した建国の内実を少しでも実現する方向が模索されています。
 PFLP、DFLPなど、歴史的に闘ってきた人民主権の理念を包括的和平の中に位置づけて建国の闘争へと発展させ、グローバル資本主義の中東支配に抗するアラブ規模の戦線の形成として展望を打ち立てていく時です。すでに、イスラエル側は、オスロ合意への参加を表明したDFLPの政治犯を釈放し、ハマスは釈放しないというアラファト路線支援として行動しており、被占領地内で人民の広範な支持基盤をもってイスラエルと対峙してきたハマスも今後の政治展開の方向が問われてきます。
 イスラエルに対する闘いをパレスチナ内部の問題に封じ込めようとするイスラエルに対して、パレスチナ建国を担いつつ、いかにイスラエルの圧政と対峙していくのか、パレスチナ指導勢力の統一した力で、人民的利害の拡大に向けた闘いが問われています。

5、オスロ合意の今後

 今回のシャーメル・シェイハ合意に対する各勢力の見解と立場が示されました。
 ハマスは、今回の合意を「新たな妥協」として非難しています。ハマスの創始者ヤシン師は、新たな合意はいずれも以前の合意の成果を失うものであり、追放された人々と被占領地の問題は、帰還を実現するか闘争を続けることによってしか解決しないと批判しています。
 シリアは、暗殺された労働党ラビン政権時のゴラン高原返還交渉(その後、ネタニエフ政権によって中断状態だった)からスタートさせるよう求めています。オルブライト国務長官は、シャーメル・シェイハ合意に至る過程でダマスカスに立ち寄ってアサドと会談を持ちましたが、バラク政権が労働党としての過去の交渉過程に責任を取る立場に至ってないために、何の進展も得ることができませんでした。
 オスロ合意そのものに反対するイラン政府やPFLP・GC派やアブ・ニダール派も今回の合意に反対です。真の平和は、イスラエルがアラブの土地の占領を停止し、パレスチナ難民が帰還することを通して実現する、という立場です。彼らは部分的な土地の「返還」や秘密交渉や、前の合意を修正確認するセレモニーという今回の合意のあり方に反対しています。
 PLF(パレスチナ解放戦線)は、この合意は、被逮捕者問題、軍の再展開問題、建国宣言問題での大きな妥協であると非難しています。
 DFLPも、この合意はバラク政権に都合のよいものでしかないとしています。また、イスラエルのパレスチナ被占領地におけるセツルメント建設の強行に触れていない点で大きな間違いを犯していると非難している人(パレスチナ人のコンタクトと情報のためのエルサレムセンター所長ガッサン・ハティブなど)もいます。
 このように、今後当事者となる人々が、現在の譲歩を批判し、アラブの当然の権利として難民の帰還問題、首都問題、国境問題、今後攻防がイスラエルとのみならず、アラブ、パレスチナ内での政策路線、建国と、包括的和平の実現のあり方としてイスラエルのレバノン撤退問題などを含めて進ませようとしています。
 バラク政権自身は、基盤の弱い連合政府であり、バラク自身もかつてPFLP作戦に対し、エンテベ奇襲作戦でゲリラ兵士を暗殺した指揮官であり、アメリカとの戦略的同盟を軸に「イスラエルの安全」の範囲での譲歩を行うに過ぎないでしょう。それは、バラク政権がユダヤ人入植問題を今後どうするか(入植地を撤収するか、凍結するか、拡大するか)で示されていくでしょう。
 しかし、和平を選択したイスラエル国民の意思と、当然の権利を主張するアラブ、レバノン、シリア、パレスチナの不退転の対峙を通して、永続的包括的和平への転換をかち取っていくチャンスとしてあります。
 それはまた、人民戦争路線をどういう建国内容として作り上げていくか、政治攻防を経つつ、人民勢力の新しい闘い方を創造するチャンスでもあります。

 

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