ロシア・ルポ通信 第2回

ロシア経済危機後の

地方権力の問題

はるやままさき

1999年 6月5日
通巻 1012 号

企業の再国有化と中央・地方関係の変容
 現在の税制度がもたらした結果が、各都市の工場や製造所を崩壊に導いている。それが皮肉なことに、私企業の再国有化という結果をもたらしつつある。任意の企業の株が債務のために容易に強制的に処分されるとしても、それが一体誰の手中へと渡るのかが問題である。もちろん国家の手に渡っているとも考えられるが、ある地方行政府では自らが所有していると理解されているふしがある。というのも、ロシアにおいては現実的にその対象を「取り扱う」ということと「所有する」ということを同義にとらえることが可能だからである。それ故に、現在の企業の再国有化は地方にとり特別の意味を持ちさえするのである。
 アルコール製造販売の独占を地方行政府の管轄下におくこと(プスコフ)、一旦、私有化が進められた石油会社の国有化の要求(オレンブルグ)、負債処理のために石油会社を州行政府の配下に企業を譲り渡すことを要求(サマル)、などの例があげられる。
 こうした地方行政府による経済権力の集中・独占が極度に進行していく恐れがある。本来、ソ連邦の崩壊は、社会主義的な所有関係・経済システムからの離脱(現時点ではロシア国内で肯定的にこのことを評価する者も少なくなってきているかと思われる)が、政治的民主化と並行して行われた。これは実際上、大半の国民層にとっては半ば強制的な経済政策プログラムにより遂行されてきたのであるが、プリバチザーチャ(私的所有制度化)が現実にはプリバチザーチャ(略奪化)という国家資産略奪化と腐敗の温床となったに過ぎないのである。
 結局、経済危機以降、税制上の問題および正常な市場流通の進路が停滞し、再度こうした再国有化という動きが現れてきたのである。多くの者が私有化が誤って実行されたことを認め、その私有化プロセスそのものの不公正さが指摘されている。それ故、公正で公平な再分割の試みが認められること自体は、現状を鑑みて適切な処置であり、必要なことであろう。
 しかし、一旦債務者から企業を引き取り、一体それを誰の手に渡すべきなのかということが、新たな問題を生み出しかねないことも事実なのである。果して、地方行政を管理統括する知事自身がそれを「取り扱う」権限を委譲されたが故に、「所有した」ということを意味しうるのか。「地方優先主義」という名の病が至る所に蔓延し、法的維持機関の地方部局が地方の独占支配主体と昵懇となり、その中でその機関が動くということも、もはや不思議なことではないのである。
 大統領の国家元首としての権限が弱体化すればするほど、分封公の絶対権力の集中が明らかとなり、地方における非効率的な民営化により崩壊した所有関係をめぐる闘争過程で、よそ者が積極的に排除されていくことになる。所有関係の再編成過程において、地方が中央からの譲歩を勝ち取り、所有の地方独占支配を強化する動きが活発化することは逆に現在の弱体化したロシア国家そのものをさらに混迷状態、もしくは崩壊へと導きかねないことが危惧されるのである。地方分権構想が民主化とパラレルに進められることがロシアの場合、果して良いことなのか、それが他国の場合とかなり条件が異なることを考慮しなければならないことは言うまでもないことである。



地方政府の経済権力集中とモスクワからの分離
 常時、任命および金銭給与については、連邦の諸権力機構はモスクワからそれらを受けており、一般的にはそれらを地方が負う必要はないものと考えられる。しかし現時点では、全く反対の状況が現れてきている。つまり、中央からのわずかばかりの俸給さえもが遅配となり、それが恒常化することにより、その肩代わりを一体誰が行なうのかが問題となっている。そのための追加額を知事が負担し、時と場合によって内務局員やFSB(旧KGB)職員、税務局員、検事などが住居を与えられるのも、地方行政府によることさえある。州政府との関係なしでは生活も仕事も保証されないのである。こうした連邦職員と地方行政府との癒着的関係が発覚すれば、連邦職員は自らのポストを失いかねないのであるが、現実にはそうした傾向が強まりつつあるのである。
 また、現時点でこうした地方の経済権力の掌握、知事による再私有化という事態に対し、中央がどのように対処するべきなのかが問題となる。つまり法制維持機関の支持を得たうえで、債務や許可契約の違反に対して、企業そのものを奪い返すということはもはや至難の技である。なぜなら、地方行政府の管理統制下において、マスメディアはアンチ・モスクワの気分をかきたてている。「モスクワの巨大独占資本家たちが我々の工場や製造所を買い占め、全てをモスクワへ取り上げられ、彼らはメルセデスに乗りながらも、我々には賃金さえ払われないのだ」と。これまでモスクワの有力な巨大資本家の経済運営において、諸地域間の連絡を維持していくだけの経済循環組織を形成することがなかったのか、と疑われる。しかし実際、これらの企業体が試みてきたことは、強い中央への志向の中で自らの利害関係に基づいてのみ経済システムを構築、運営してきただけであることは明らかである。
 それゆえ、もし現実に中央の権力そのものが弱体化した際に、この企業体がどれだけ地方経済権力の集中に対応していけるのかということは、実際のところ疑問視されるのである。そのとき、もはや地方はモスクワに対して、どうしてクレムリンの指示に従わねばならないのか、どうして中央に税金を払う必要があるのか、また自ら地方であらゆる問題を解決していくことの方がより自らに利益をもたらすのではないか、というモスクワへの不満の向かう先は、ロシアの国家そのものをより一層の困難へと導く可能性を持っていると言えるだろう。



国家崩壊の危機を内包した地方・中央対立
 こうした地方と中央との政治的なバランスが不安定であったのは、最近になってのことではない。すでに1992年3月のタタルスタン共和国独立宣言の国民投票採決に対するモスクワの非承認とその後の権利分割条約の締結以来、中央と地方が権限分割に関する条約を個々に締結しているものの、現実的には個々の権利分割条約の内容そのものは、それぞれの地方と中央との駆け引きと力関係により規定されていると言われている。外交、対経済関係、予算、徴税、資源処分などの問題での権限分割規定が締結されているものの、実際には権限争いの過程において現実的な処分を行わざるを得ないことも事実なのである。
 しかし、こうした中央と地方との権力の駆け引きが、ロシアの今後の政情を大きく左右していくことが予想される。日本に伝えられる情報の多くがモスクワを中心としたものであり、それだけでは地方の現実の政治的志向性が十分に理解されえない。現在の経済危機問題におけるロシアの特殊な打開策を、ロシア国内の中央と地方との政治権力のバランスという視点から捉え直していく必要があるように思える。つまり、1991年3月に、ソ連で私的所有制度を認め、私企業への道を開く所有権法が制定されて以来、合法的にソ連政権下において株式会社が認可された。そして、その後のソ連の崩壊後の新生ロシアにおいても市場化、民営化移行の諸過程が模索的にその道程をたどってきたのである。そして現在、ロシア経済危機以降のこの時点において、このまま政治的経済的な意味での地方と中央との対立化が進行するなら、国家そのものの崩壊を招きかねない事態を一つの現象としてうみだしてきているのである。

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