東スラヴ族に分類されるロシア人、白ロシア人、ウクライナ人と、南スラブ人に分類されるセルビア人が、ともにスラブ系の言葉を使用する点においてのみならず、政治的、経済的な関係を形成してきたのはそれほど古いことではない。今回、NATOによるコソボ空爆に対するロシア国内での反感情は、アメリカの覇権主義的軍事行動とNATO軍を構成する西欧諸国に対する根強い不信感を与えたことは間違いないだろう。そこで、今回ロシアがスラブ的兄弟意識を、例え政治的プロパガンダの方策としてであれ煽り立てたことは、今後のロシアの外交方針を占う上で重要な意味を持つように思える。19世紀に見られた汎スラブ主義が、今後の国際政治の環境の中で再びよみがえる可能性もあるからだ。
ユーゴのロシア観は変化したか
今回サラエボ爆撃の終結の兆しが見えない中で、ロシアにおいても冷静な目でロシアとセルビアとの関係を見るような記事が、ロシアの大衆紙『論拠と事実』(5月・970号)に掲載されていた。「ユーゴスラビアではロシア人は愛されているのか」という見出しの後に、読者から寄せられた質問の一部が続く。
「ユーゴスラビアへの爆撃後、ユーゴに対する熱烈な愛が生じた。しかし、セルビア人たちは本当のところ、ロシアやロシア人に対してどのような態度を取っているのか。」
という素朴な疑問が一方でもたれているのである。
多くのセルビア市民がどのような態度をロシアやロシア人に対して示そうとしているのかは、むろん世代によって異なることは言うまでもない。一般的に、年輩者の態度はいたって温いものである。それに対して、サラエボの若者たちは基本的には西欧志向であり、運良く両親に金銭的な余裕があるならば、決してロシアではなく、ギリシアやドイツ、イタリアへと観光に出かける。
しかし、今回の事態でセルビア人の西欧世界とロシアへの見方は大きく変化した。興味あることは、今回のNATO及びアメリカの軍事攻撃のモラルの側面での批判として、バチカンが思う存分の非精神的な行為を露呈したのに対し、正教の倫理性、精神性の高さが示されることになったのだと、多くの若者が語っていることである。
近代の諸矛盾を抱え込まざるをえないユーゴ
冷静期のユーゴスラビアの歴史を振り返るならば、チトーを首班とする独自の社会主義体制を維持してきた。ロシアにとって西欧世界及び近東への窓口として位置し、西欧世界にとっては自らのテリトリーの辺境として地政学的に重要な地域である。第1次世界大戦、第2次世界大戦の勃発がこのヨーロッパの火薬庫で生じた所以もそこにあったのである。
冷戦後のこの時期に、冷戦期に抑止されていた西欧世界、東方世界、イスラム世界の矛盾が、歴史の活断層がずれ落ちていくような勢いで今回のバルカン半島の紛争問題を引き起こしていると言えるだろう。この状況に対して、近代政治原理としての国民国家の主権問題や民族と国民の概念の無効化が露呈しているように思える。このバルカンを巡る問題が、冷戦的な抑止が取り去られた状況下において、次の抑止力となる条件形成が現今の国際関係の中で見いだせないのが事柄の本質なのではないだろうか。
それ故、現在のアメリカの覇権主義的な民族浄化に対する人道的爆撃なるものも、冷戦下の条件に代わる抑止力とはなり得ないのではないだろうか。
ユーゴスラビアが近代世界の周縁に位置するという条件によって、あらゆる意味で近代が背負ってきた諸矛盾を抱え込まざるをえない事態にあるように思えてならない。
ロシアがたとえ今後、汎スラヴ的な理念を対西欧世界への有効なイデオロギーとして選択しうるとしても、それはロシアの自己意識の肥大化を生み出すのみで、それが現実的な冷戦後の近代的世界システムの矛盾の抑止力の理念として有効性を持つようには思えない。
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プーシキン200年祭の興奮醒めやらぬモスクワでは、老若男女が「ロシアの偉大さ、ロシア語のすばらしさ、ロシア国民と歴史の偉大さ」を讃えている。ロシア人は、彼らの自意識の宇宙の中でのみ酔いしれることができる民族ではないのか。「昨日はイラク、今日はサラエボ、明日はロシア」かと恐れおののくロシア国民の求める世界調和の理念とはどのようなものであるか、想像がつくであろう。
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