ロシア・ルポ通信 第4回

レーニン廟移転問題

はるやままさき

1999年 10月15日
通巻 1024 号

 ロシアの大衆紙『モスクワ・ニュース』の1面に「Please, Bury the Dead」という見出しが出たのは、今年の5月26日のことである。長らくことの成り行きに沈黙していたロシア正教会の総主教アレクシー2世がレーニン廟の移転問題に肯定的発言を行ったのである。これまでロシアの政治的問題とからんでこのレーニン廟問題がしばしば議論されてきたが、エリツィン大統領は早くから赤の広場のレーニン廟撤去及びサンクトペテルブルクへの遺体埋葬を主張していた。それに対して、共産党は反論を展開していた。移転埋葬案として、ペテルブルクのボルコーフスキーにある文化人墓地に埋葬することが、以前から提出されていた。ここには、ラジィーシェフ、メンデレーエフ、ツルゲーネフが埋葬されているという。
 今回の正教会総主教の埋葬に対する肯定的な発言は、正教会の社会的影響力を考慮すれば、この問題解決を望むエリツィンにとって願ってもない助け船となるであろう。正教会と政治権力との関係は、これまでもしばしばクローズアップされてきた。ソ連時代には政教分離が明確化され、長らく戦闘的無神論のイデオロギーにより抑圧管理されてきた正教会は、現在のロシア政治においては非常に利用価値のある存在であるといえるかもしれない。
 ところで気になるのは、この移転問題に対する政治家の立場である。それに加えて、市民はこの問題をどのように見ているのか、また歴史的人物としてのレーニンをどのように評価しているのかなど、関心がもたれるところである。

 政治家の反応

 政治雑誌『ブラスチ』(6月1日号)ではレーニン廟問題に関する政治家のコメントが寄せられている。
■ゲナンジー・ジュガーノフ(ロシア共産党党首)
「私は問題の提起そのものに反対する。赤の広場には歴史的メモリアルがあるのです。そこには、400人近くの人々が埋葬されています。宇宙飛行士、偉大な陸軍大佐、労働者、そして政治家たち。そこを侵すことは許しがたいばかりではなく、冒涜的なことなのです。」
■アナトリー・クルチコフ(ロシア共産党中央執行委員会政治部スタッフ代表)
「これはいつもの扇動です。ロシアで教会はいつもブルジョアに奉仕してきました。総主教とよばれる人物が、この政治的ゲームにくちばしを挟んでしまったことが、自覚的なのか、そうではないのか私にはわかりませんが、どうして平和と和合を訴えなければならない人物が、恐怖の炎を焚き付けるようなことをするのか。」
■セルゲイ・ステパーノフ(共産主義者同盟中央委員会第一書記)
「これはエリツィンの側近の社会的要求でしょう。だから、我々にはそれに対して何の準備もないのです。赤の広場には廟と共産主義者が埋葬されているということだけではなく、ロシア史に関わる人々が横たわっているということを、むしろ総主教には思い起こしていただいた方がよいように思われます。クレムリンの壁への最初の埋葬はソビエト時代ではなく、300年前に行われたのです。私たちにとり、ここは神聖な場所なのです。」
■アレクセイ・パドベレスキン(下院議員、〈精神的遺産〉運動リーダー)
「実際、赤の広場での祝事や祭りは、墓地で踊るに等しいもののように思われる。そうしたことは行わない方がよいだろう。世論がレーニンを埋葬することが必要であるという見解にまで熟さねばならない。もし、このために10年なり20年なりが必要とあらば、つまり、待つしかないのである。」
■ニコライ・リィシュコフ(議会グループ〈人民権力〉リーダー)
「総主教のイニシアティブに対する私の見方は、かなり否定的です。レーニンは偉大な国家を建設した人物です。偉大な国家が失われたとしても、彼の責任ではないのです。これは政治的局面です。モラル的局面に言及するならば、クレムリンの壁には、誰かが気に入らない政治家だけではなく、過去に我々人民の国家に忘れ去られた人々の遺骨もまた納められているということがあげられるでしょう。」

 遺族の反応

 これに続いて、赤の広場に埋葬されている人物たちの親族の意見についてもコメントが『ブラスチ』同号に掲載されている。
■オリガ・ウリヤーノフ(レーニンの親族)
「赤の広場の墓地はボリシェビキが考案したものではありません。15世紀から存在していたのです。あそこにはバシィーリィー・プラジェーニィーが埋葬されています。おそらく、誰もそれに触れたり、それを回収したりしないでしょう。私は、クレムリンに埋葬されている自分の親族や墓の人たちに触れてはならないと思います。」
■ブラジミール・アリルルーエフ(スターリンの親族)
 「総主教は埋葬された墓地の移転をのぞんでいるようですが、私は叔父の改葬には反対です。府主教管理地域に1,000からの聖骸がある。どうか総主教がそれにまず取り組みますように。」

 市民の反応

 一般市民はこうした問題をどのように考えているのか。5月21日付けの『論拠と事実』紙には次のような投書が寄せられていた。
「私は結局のところ、レーニンの遺体を埋葬することに賛成します。しかし、このことがきっかけとなって国内戦争の火を焚き付けることになるのではないかと恐れているのです。」(在エカテリンブルグ、セメンチコフ)
 これに対する回答として次のように述べられている。
「どのような理由があろうとも、ロシアで国内戦争が生じないということを願いたい。レーニンの遺体が廟から運び出されるならば、激しいプロテスト行動と、さらには混乱を避けることさえもままならないであろう。この決断は多くの人々を怒らせ政治的衝突の火に油を注ぐことになるだろう。」

レーニンの評価

 次に、現在の歴史的人物としてのレーニンの評価はどのようなものなのであろうか。確かに、モスクワのみならず、地方都市でもいまだにレーニン像が撤去されることなく保存されている。歴史的人物として、建国の父としての評価も多くの大衆、特に高齢者には根強い支持がある。世論フォンドの調査によれば、現在レーニンの埋葬に賛成は53%、反対は35%ということである。
 レーニンに対する歴史的評価や尊敬度は、これまでもたびたび社会調査されている。特に、将来社会の中心となる若者がどのような評価を行うのかも興味があるところではある。
「いくら中傷してみても、レーニンがこれまでのように信頼に値する人物であったということは変わらない。特に、彼がロシアを正しい道へと導いたことは。」
 こうした意見は特に年輩者の投書などによく見られる。しかし、それは歴史的事実であり、現在のロシアの情況とは、もはや異なるというのが一般の冷静な判断であろう。国父として、指導者としての尊敬の念というものも、歴史的人物としての評価にすぎないのである。
 『論拠と事実』紙に寄せられたもう1つの投書にはこんな質問が寄せられていた。
「最近の子供たちはレーニンがどんな人物であったのか知っているのか、関心があります。」(クールスカヤ住民)
 この質問に対する回答のために、モスクワの幼稚園児童に質問取材をしていく。22人中、18人がレーニンが誰か「知らない」と答えている。それ以外の答えは「クレムリンに横たわっている人。その人を埋めることはできない」、「人々を殺した悪い人」、「レーニンのために、今、頭の良い人には仕事があって、貧乏な人には仕事がない」、「悪いおじいさん」、「エリツィンのような人」というものである。
 次に、小学1年生では次のような回答が示されている。「レーニンは私のおじいさんをいじめた」、「コーシェイ(ロシア民話に出てくる金持ちで意地悪く、やせてせが高い不老不死の老人)のように不死身で、赤の広場の高台に横たわっている」などとあまり良い回答はないが、彼らの両親世代、今の20〜30代の人々の考えの反映かもしれない。
 今回はレーニン廟問題の一側面を取り上げてみた。現在も町の至る所にはレーニン像が残されている。一時は、日本でもこうした銅像が民衆により撤去される映像ばかりが繰り返しながされていたこともあり、ロシアを訪れる日本人観光客はこうしたレーニン像が保存されていることを訝しがることがあるようだ。レーニン廟の問題を見てもわかるように、大きな社会変動の過程においては古いものと新しいものが徐々に作用、反作用しあいながら進行していくのである。焦点となっているレーニン廟問題はある意味で現在のロシア社会が置かれた変動状況の象徴のようにも思えるのである。

 

「海外ルポ」〜ロシアへ戻る

人民新聞社

このページは更新終了しております。最新版は新ページに移動済みです。