【国会閉幕】「桜を見る会」に見る政治の底割れ しつこく追及、逃げ切らせない   豊中市議・森友学園問題を考える会 木村 真

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 「桜を見る会」をめぐる安倍や菅のバカげた言い訳を聞かされてうんざりしない人などいない。「名簿は廃棄した」、「野党の問い合わせがあった日にシュレッダーにかけたが、たまたま同じ日になっただけ」、「招待者を推薦はするが最終的に決めるのは内閣府」、「『反社会勢力』の定義は困難」、「ニューオータニで会費5千円パーティーは、唐揚げを増やせば可能」、「前夜祭についての収支の記載がないのは、会費受渡はホテルと参加者が直接行い、後援会・事務所は入出金しないため」…等々。
 

中学生でも通用しない幼稚な言い逃れだが、ばかばかしいやり取りを延々聞かされていると、「これが国会の議論か! いつまで下らない話をしてるんだ! 日米FTAとか、もっと大事なことがあるだろ!」なんて言いたくなる。もちろん、悪いのは政権の側で、資料をさっさと出せば、簡単に片付くはずの問題を、ウソとごまかしではぐらかして引き延ばすからなのだが。
 

それにしても、何度同じようなことを繰り返すのだろう。森友問題では、「教育勅語学園」に国有地をタダ同然で提供した理由について「地下9・9メートルから2万トンものごみが出た」という荒唐無稽なつくり話をひねり出した。公文書改ざん・文書破棄・国会虚偽答弁が暴露され、近畿財務局職員が自死に追い詰められても、誰も何の責任も取らないどころか、改ざんに関与した幹部職員は昇進・栄転。財務省トップの麻生はいまだに大臣のイスに座り続けている。
 

加計学園問題、自衛隊の日報隠し、裁量労働制をめぐる労働時間データの改ざん、統計調査の調査方法の恣意的変更、外国人技能実習生からの聴取調査の国会への虚偽報告……等々、挙げればキリがない。どれをとっても、内閣総辞職級の大問題なのに、総辞職どころか担当大臣の辞任も更迭もない。隠ぺい、改ざん、そして開き直り。まさしく政治の底割れ状況ここに極まれりの観だが、選挙で安倍自民党を勝たせている社会、つまり私たち市民・国民の側の劣化も目を覆うばかりだ。
 

国会が閉幕した12月9日、記者会見で安倍は「桜を見る会」については一言も語らず、「招待基準があいまいだった。運用を見直す」としてお茶を濁すのみ。一方で憲法改正については、「必ずや私の手で成し遂げる」と、憲法遵守義務に違反する妄言を吐いた。政治・行政を私物化し、バレそうになると国会で虚偽答弁、まずい文書は廃棄し、公文書改ざんまでやらかし、何の責任も取らずに居直る。こんな輩に憲法に手を付ける資格などない。
 

アベはタカをくくっているのだ。「ごまかしておけばそれでいい。年末年始をはさめば、市民の怒りなんて消え失せてしまう」と。残念ながら、これまでの数々の問題では、この「忘れさせよう」という作戦はうまくいっていた。これに対抗するには「忘れないこと」―これに尽きる。しつこく追及を続けること、逃げ切らせないこと、しかない。
 

モリカケと同根責任を取らせる

森友問題が最初に大噴火したのは、2017年2月。間もなく丸3年となる。
 

「森友学園問題を考える会」は、時には街頭アピール中に「いつまでやってるんだ!」などとヤジられながらも、しつこく追及を続けている。豊中市内と近畿財務局前、月に2度の街頭アピール。数か月に一度の市民集会(次回=来年2月22日)。このところは、佐川宣寿氏(元財務省理財局長、元国税庁長官)の再度の国会証人喚問を求める署名にも取り組んでいる。
 

森友問題も「桜を見る会」も、どちらも安倍政権の体質がそのまま現れた問題だ。森友問題で逃げ切られてしまえば、「桜を見る会」でも逃げ切られるし、「桜を見る会」の追及は、森友の追及にも直結する。「しかるべき人物に、しかるべき形で責任を取らせるまで、森友問題は終わらないし終わらせない」。その強い思いをもって、これからも追及を続けていく。

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