【食べて身になる 連載(3)】〈不食〉を実践 地球への「祈り」木澤 夏実(げいじゅつ と、ごはん スペースAKEBI)

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食を通して社会を考える

 「ナツミさん、取材に行きませんか。〈不食〉というのを実践してはる、村上忠政さんのところへ」―そう聞いた瞬間、わたしの知的好奇心は爆発的に上昇し、しかし同時にひと匙の不安も覚えた。〈不食〉だなんて! 一体どんな方がお話してくださるのだろう。  

かくして向かった村上さんのご自宅は一般的な住宅地の中にある普通の一軒家で、呼び鈴を鳴らすと、想像よりも遥かに柔らかな雰囲気の御本人が迎えてくれた。

――〈不食〉って何?  

不食とは、ありとあらゆる食物を全く食べずに生きる、ということを目指す実践である。健康改善のために一時的に食事を絶つ「断食」とは異なり、不食の場合、その試みに期限はない。多くの人々が食事から摂取するエネルギーを、呼吸やサン・ゲイジング(太陽凝視)によるプラーナ摂取により体内で生成し、健康上に何の問題もない健やかな生活を送ることができるのだという。  

不食の能力が今後の宇宙開発に生かせるとして、米航空宇宙局(NASA)が不食実践者のヒラ・ラタン・マネク氏を研究所に招き長期調査した際には、「人類は食事を摂らずに生きることが可能である」との結論が公表された。現在世界中には10万人以上の不食実践者が存在しており、近年では日本でも実践者による書籍が出版され話題を呼んでいる。

――不食実践への歩み

1951年に福岡で生まれた村上さんは、大学卒業後に一般企業へと就職。その後転職、さらに離職して渡米し、現地で商売を始めたものの、プラザ合意による円高の影響を受けて帰国。ギフト商品などを扱う日本の企業へ入社し、そこで約10年間働き続けた。  

シーズンごとに商品が目まぐるしく入れ替わるギフト業界は、言ってしまえばどうせすぐに無価値となって廃棄されることが明確なものを、「自分の生活のため」と目をつぶり、ただ生産し続けるという悪循環。  

「なんか俺ってゴミ売っとるよなぁって、ね。で、こんなことって、しとってどうなん、と考えたわけよ」  

自らの中に抱えた矛盾を無視することをやめようと決心し、46歳で離職、縁のあった関西よつ葉連絡会へと転職した。数年後には「株式会社よつ葉ホームデリバリー京滋」の立ち上げを任され、他2名の仲間と寝る間を惜しんで激務をこなした。給与は前職よりも少なく、初めて経験することの連続で身体はきついが、それまで抱えていたような精神的なストレスは全くなかった。  

会社の体制も安定してきた頃、57歳の村上さんを脳卒中が襲う。以前のように動けなくなった身体と向き合うために禅寺で1か月ほど生活し、禅の教えに触れながら、「ひと・植物・動物、全ての命は平等に大切」という答えを自らの中に見出した。以後、全ての命を傷つけず、コントロールすることのない非暴力的な生き方を求めて、不食の実践を開始する。

――「持続可能な社会」は、今ここに  

経歴豊かな村上さんが常に一貫して思い続けていること、それは「持続可能な社会を実現したい」。  

人間が各々の私利私欲に任せて贅沢な生活を送り、そのために必要な資本主義的経済活動を行い続けたとすれば、未来の地球資源が枯渇し生態系が崩壊するのは時間の問題である。「幸せ=成功」という図式が当然となってしまった世の流れに、ひいては「権力」に対抗する者として、不食の実践を通して固定観念から自らを解放し、「私」を手放して全てのものを平等に大切に思う。他人、花、虫、鳥、空、土……村上さんにとってはそのすべてが「私」であり、彼らの幸せが自らの幸せなのだ。  

とはいえ、現実社会の向かう方向は、今すぐにひとりの手によって変えられるわけではない。それでも、「こうなればいい」という確固たる理想を個人が持ち始めた瞬間から、その人の中にはすでに理想が実現している。あとは自分を待ち構えている「今」の連続をただただ素直に、ひたすら生き続けるだけだ。それが永遠となり、時空を超えていつか現実となる。  

「この発想からいくと、一番近いのは仙人かな、って」―そう言って笑う村上さんが、わたしにはすでに仙人にしか見えない。彼の生き方は、地球への「祈り」のようにも思えた。

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