【日韓関係】「友好」という言葉と矛盾しない 海外労働者への搾取 延世大学国語国文学科博士課程在学 影本 剛

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 日本語と韓国語の新聞・雑誌・ブログ記事をいくつも見たが、似たようなものばかりだ。それらの結論は、相手国に対する憎悪を煽ったり、友好を訴えたりである。もちろん憎悪と戦争より友好と平和がいいに決まっているが、ではいかなる友好なのか?  

友好を訴える記事には、6月に大阪で開かれたG20の席で両国首脳が目を合わせずにすれ違う写真が何度も用いられた。ならばG20で両国首脳が笑顔で握手していることが友好だというのか? 両国の企業がニコニコして共に民衆を搾取するのが友好なのか?  

2015年の「慰安婦合意」のように歴史問題を「不可逆的」に「解決」することが友好なのか? もちろん文在寅政権は2015年の慰安婦合意的な友好関係から距離を取っていることも、今回の「非友好」的状況が生じる脈絡なのだが、であるならば、非友好的状況のほうが民衆にとっていい面もあるのではないか?  

歴史問題が呼び起こされる際にいつも登場する1965年の日韓条約が果たして「友好」なのか? 現在の両国間の葛藤と比べたら、外交的友好が良いように見えるかもしれない。しかしそれは両国が東アジアの資本と軍事の秩序を波風立てずに表面的に葛藤していないということであり、それをもって友好云々は言えないはずだ。国家間葛藤に対して、ただ「友好」なる枠組みの再生産をぶつけるのは、事を曖昧に封じるだけだ。  

自由貿易というG20の秩序を盾に友好を訴える議論は、昨年の平昌オリンピックを契機とする南北融和ムードの中で韓国の居酒屋で語られていた「北側の土地を転がして儲けたいね!」云々のおぞましい会話とつながる。  

政府間の友好と、相手国の安い労働力を搾取することは矛盾しない。韓国で一昨年公開された東アジア反日武装戦線についてのドキュメンタリー映画『狼部隊を探して』(監督金ミレ)の最後のシーンが、サムソンのベトナム工場でストをする現在の労働者たちの姿を捉えていることを想起したい。三菱重工の戦前戦後を貫通する海外労働者搾取を問題化するこのドキュメンタリーが、その問題化が真摯であるがゆえに、決して日本企業批判のみに留まることができなかった点を指摘しておきたい。  

そして、三菱重工という名が刻まれている「徴用工」問題とは、労働者自身の単純再生産すら許さないような搾取の現場を問題化することである。  

1965年の日韓条約が冷戦とベトナム戦争下の国家間条約であり、80年代後半の韓国をはじめとするアジアにおける民主化と脱冷戦の試みを通して個人が発言できるようになったことを確認せねばならない。  

韓国のろうそく運動による政権交代は、実質的に世襲指導者による東アジア秩序維持に亀裂をもたらした。その亀裂に対する日本側の怒りは、日本の政治家たちの本音むき出しの発言から読み取れる。日本の政治家たちは冷戦的秩序を維持したいわけだ。  

3・1独立運動を想起させる 日本ボイコット運動

この点で、今回の韓国における日本ボイコットを訴えるネット上の言説が、「三一独立運動」百年を想起している点に注目したい。   

三一運動もまた、19世紀後半には君主制国家しかなかった東アジア地域に、共和制を立ち上げていく中国革命・ロシア革命の流れの中にあり、その当時の東アジア秩序を揺るがす出来事だった。 

リベラル派すら新元号にすがる日本なる地域における「反韓」と、君主制を拒絶し共和制へと歩もうとした三一運動を想起する韓国での日本ボイコットは、ベクトルが反対であると指摘しておきたい。この点は、両国の政治家たちの過激発言を批判する以前の段階において共有されるべきだ。  

むしろこの状況で友好を述べることに何らかの意味があるとすれば、支持を得るためにエスカレートする政治家の暴言を根拠にして発動している、隣人に対する暴力を止めさせる手段としてだ。 

友好が目的になってはならず、非友好言説を根拠にした暴力を批判するための一時的手段としてでしか友好はない。それは一時的に構成され、固定されることなき抵抗の状態を指し、その具体的状態の系譜こそが学ぶべき歴史なのだろう。  

決して答えは「民間交流」や「どっちもどっち」のような玉虫色をしていない。資本の動きを滑らかにするための友好は、歴史的文脈を削除することをいとわない。それは政治家たちのヘイトスピーチを批判するものではあるが、そこに同意することに留まってしまうと、徴用工問題が猛烈な労働力搾取であった歴史的事実を見逃してしまうのだ。

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