「よそもの」としてコミュニティ ひとびとをつなぐお寺を担う 聞き手 編集部 矢板 進

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文化欄 Iターンする若者たち(4) 寶泉寺

 今回のインタビューは尼寺である。同じIターンでも、お寺ならではの地域への根ざし方がある。「由緒あるお寺を預かっている」という自負心と、壮大な歴史に向かうひたむきさが随所に感じられる時間だった。壮大な歴史の中にあると、ひとひとりの存在はちいさなものに見える。そうした自身の身の程と革新的なものとのバランスは、地域への貢献とお寺のこれからの役割というものを見据えているまなざしから生まれるものなのだろう。美山の寶泉寺住職の恵光さんに話をうかがった。

仏事を通した地道なコミュニ ケーションで地元にとけこむ

 故郷は佐賀県。駅が近くにある街中であったが、いつか田舎に暮らしたいというイメージはあったという。お寺は美山町大野ダムのすぐ傍らにある。ダムには公園が隣接してあり、桜や紅葉の見どころとなっている。深い緑を湛えた由良川を背に山門の階段を登ると、厳かで、またひっそりとした風情のあるお堂がある。建立して1300年。高野山よりも古いそうで、「建立当時はまだ真言宗とはっきりしたものではなく、修験道と混合していた時代だったと思うんです」と話す。  

もともと、拝むことが好きだったという恵光さんは、祖母の影響から真言宗の僧侶になる。住職の妻として嫁いできたが、しばらくして住職が出て行ってしまう。  

「十年前の当時は実家の九州に帰ろうかと迷ったが、美山が好きだったし、できることがあるんだったらここでさせていただきたいと、美山に残ることに決めました」  

そして3年前に再婚。美山に来たばかりの頃から、励まされたり多くのひとからお世話になったりと地元とのつながりが深まり、住職としてここに残ることを選べた。そのときのことが日々の暮らしのなかで糧となり、いまでも活きているという。  

「なにか恩返しをしたいんですけど、とりあえず仕事をしていくことかなぁと」  

住職の仕事と恩返しというものは直結しているようにも思う。もともと、よそ者である恵光さんが信頼されるコツとして考えているのは、たとえばお寺の行事や作法の意味などを丁寧に伝えること。焼香ひとつをとっても手順を説明して終わりにするのではなく、ひとつひとつの意味を伝えていく。そうした積み重ねが檀家さんにとっては誠意として伝わる。「受けいれてくれないことをなげくのではなくて、どうやったら受け入れてもらえるか、作戦を考えて愉しんでいる部分もありましたね」―ある意味、仏事が地元のひととのコミュニケーションのツールになっている。もちろん、根底には恵光さんの恩返しという思いがある。だからこそ関わり方から誠意が伝わっていくのだろう。  

マルシェのような〈はなまつり〉 型にはまらないイベントを開催

一方で多くのイベントなども催されている。洋菓子づくり教室やヨガ、歌のレッスンや合気道。なかでも注目すべきなのは、お釈迦さまのお誕生日をお祝いする〈はなまつり〉だ。  

寶泉寺の〈はなまつり〉は、いわゆる法要のような厳かなイメージではなく、マルシェのような雰囲気で面白い。  

「はなまつりはお釈迦さまの誕生日なのでにぎやかにしたい。子どもたちにはお釈迦さんお誕生日会したね、と楽しんでもらって憶えていてもらえれば」  

〈はなまつり〉に必要な仏事はしっかり行い、堅苦しい行事もやっているので、すべてを厳格にする必要はない。参加者は、恵光さんの活動のなかで知り合った近所のひとばかり。寶泉寺でワークショップをしている洋菓子職人のカフェや料理旅館に勤めるひとの野草の天丼、自家製ロケットストーブで焼いたパンなどがあり、読み聞かせや手品の出し物もある。もっと仏の時間を増やした方がいい、と知り合いの僧侶に言われることもあるが、わかるひとにわかってもらえればいいと話す。  

江戸中期ぐらいまではもっと山の上に寺があったらしく、インタビュー前日は恵光さんご夫婦と数人でそこへ登って泉が湧いているのを見てきたそうだ。寶泉寺の名の由来ともいえる泉。ご夫婦そろって興奮気味に話をしてくれた。歴史を重んじる姿勢と変革。楽しみながらも、地に足がついて説得力がある。だからこそ、よそ者であろうと周囲のひとから信頼を得ることができたのだろう。話を聞いていた筆者も背筋が正されるような気持ちで帰途についた。

アクセス  住所:京都府南丹市美山町小渕中ノ元9 TEL:0771-75-1222

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