【文化欄】美山の自然や産品への愛を SNSで発信、商品化も聞き手 編集部 矢板 進

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文化欄 Iターンする若者たち(3)ひとり観光協会

紹介によってインタビューの相手をつないでいく本欄は、前回より奥まった山里、美山町に足をのばした。今回のインタビューは、Iターン者の多様な可能性のひとつに触れた旅であったように思う。「美山と結婚したんやろ」とひとに言われるくらい美山が好きという〈ひとり観光協会〉の中島琴美さんに、現在の活動や展望を聞いた。

環境教育で学んだことを、 ひとりから実践

 出身は兵庫県加古川。離れて10年ほどになる。 「昔は田畑も多かったのですが、最近は住宅街になってきました。帰るたびに子どもの頃の景色が変わってしまい悲しいです」  

大学時代に発達教育を学び、小学校の先生になりたかったという中島琴美さんは、YMCAの野外活動の学生リーダーをしていたことがきっかけで環境教育に興味を持ったという。卒業後、山梨の清里にある「キープ協会」で研修生として働き、環境教育を学んだ。環境教育とは、ひとと自然をつないだり、自然を通してひととひとが出合い成長することだ。キープ協会の教えは、清里に残って活動をすることではなく、全国に散らばって自分の場所を見つけて活動をすることを進めていた。仕事にしていなくてもママをやっていても、生涯をとおして環境教育はできる。そんな考えをもったところだった。  

その教えを中島さんなりに実行しているのが〈美山ひとり観光協会〉である。観光協会といっても、ひとりでSNSで情報をあげているだけ。こんな言い方は失礼かもしれないが、SNSで情報をあげるくらいは今の時代、誰でもしていることだろう。それを〈ひとり観光協会〉と銘打ってしまうあたりがキープ協会での学びの成果であり、美山への並みならぬ愛情を感じることができる。美山観光協会もあるにはあるが、登録しないと観光協会のサイトには掲載されない。以前は観光協会のpRからもれたお店などの紹介を行っていた。  

その後、中島さんは経済の重要性を感じ、経済を廻すことを考え始める。そこで立ちあげたのが〈板橋テラス〉である。板橋は中島さんが住む集落の名前で、板橋を〈照らす〉という意味がある。成ったままで放置してある近所のおばあちゃんの柚子や山椒を中島さん自らが収穫してまわり、加工して柚子こしょうやジャムにしている。  

わずかだが材料費もおばあちゃんたちに納めている。加工場が住まいのすぐ横にあり、ゆくゆくはここでお店を開きたいという。食パンも焼いており、ご主人が勤めている美山牛乳のミルクを使っている。  

美山には平飼いの養鶏場が三軒あり、そのなかのひとつのえびさか養鶏場は中島さんの住む板橋にある。いまはそこまで手がまわらないが、卵も地元のものを使っていきたい、と今後の展望を語った。現在は道の駅〈美山ふれあい広場〉などで手に入れることができる。  

広がる町おこしの背景に、 過疎化、統廃合への強い危機感

Iターンというと就農や農業との関わりをイメージしていた筆者であったが、ここ美山はすこし違っているようだ。Iターン者への住居提供などの斡旋もしている美山牛乳などの畜産、養鶏、食品などの工場勤務、木工、デザイナー、職人など手に職をもったひとと、越してきてから就業するひとと分かれるという。その理由を、「能勢や園部よりも山深い美山の地形は、平地面積が狭くて、農地が取れないからだと思います」と、中島さんは言う。  

地元のひともIターン者も、地域の過疎化、市町村統合への危機感が強い。企画好きなご主人との出会いも、若いひとが中心になって開催された地元の食品などを売る〈みやまるしぇ〉という町おこしイベントであった。  

「市町村、学校などが統合されれば、子ども同士、子育て世代のママ同士の交流がなくなる。美山の将来のことをそのように考えると暗くなってしまうけど、出ていっても『帰りたい』につながるように、子どもたちに楽しく暮らしている姿を見せられるように日々過ごしている」。「美山が大好き」と嬉々として語る中島さんだが、その裏側には美山の切実さがある。まだ始めたばかりで小さな活動であるかもしれないが、ひとり観光協会がどれだけひとを巻き込んで、美山のなかでどんな動きになっていくか、とても愉しみである。

住所:京都府南丹市美山町板橋上ノ山10番地(店舗準備中)/TEL0771-75-0170

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