編集部からの新年挨拶

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危機をより良い分かれ道へ!

「危機」とは、不測の事態・崩壊の予兆という意味と同時に「分かれ道」という意味があるそうです。

 一昨年末の兵庫県警による弾圧によって、人民新聞は危機を迎えましたが、新旧編集部メンバーと、無数の同志たちの支援によって、読者・寄稿者の増加を勝ち取り、崩壊を回避しました。さらに今回の弾圧は、、安倍極右政権の危険性を物語る事象として、多くの共感を生みだしています。これも読者・関係者のご協力と、人民新聞50年間の遺産の成果です。

 個人的には、昨年末、父親が急死し、反弾圧救援会と共催の編集部忘年会には参加できませんでしたが、どのように編集機能を強化し、読者を拡大するか? という議論で盛り上がったと聞いています。人民新聞は、分かれ道に立たされましたが、崩壊の道ではなく、発展への道を歩み始めることができました。

 私も、気づかぬまま60年の齢を重ね、老年期の新参者ですが、先輩方の生き様を見据えながら、自らの身の処し方を変えなければと思っています。それは、長期的視野と総合性の獲得であり、自らの不完全性を自覚できるか? という問いです。編集部の飛躍と世代交代は、待ったなしです。変化と飛躍を共に!(編集長 山田)

仏のように未知の革命へ飛躍を

 東京から大阪へ原発避難して丸2年。思えば家も仕事も人民新聞などの関係者に助けられてきた。人間関係が無い場所へ避難し、行き詰まり帰還を強いられる人も大勢いる。コミュニティが崩壊した日本では、社会運動に関わらないと、助け合える関係性や方法が得られないことが多々起きる。そうして今日も人が自殺する。世界は変えられないと、誰もが絶望している。

 しかし、フランスの闘いや今号の対談を見ると、革命とはいつでも起きうることで、「あ、世界は根底から変えられそうだ」と、人々の行動が飛躍したり共感が連鎖したりする状態を指すことがわかる。具体的にはバリケード封鎖や巨大デモ、生き方や運動のあり方をめぐる討論と熱い連帯だ。日本は70年代以降の監視/管理社会が進み、硬直している。
「選挙に行こうよ」「今日は何人集まりました、次も頑張りましょう」だけでなく、未知への飛躍こそ目指そう。運動も人民新聞もそのためにあると考える。(園)

労働や国籍の分断を越えて

 半専従を退職して以降も、本紙に関わり続けています。「生活保護利用者vs非正規労働者」、「正社員vs派遣労働者」、「日本人労働者vs外国人労働者」と、分断された構図が深化するなかで。誰も幸せにならない、お互いを苦しめる方向でしかない、作られた土俵を問いながら。複合する個人のしんどさに、(できる範囲かもしれないけど)向き合いながら。労働・貧困・外国人の3つの焦点から、みえる課題を、紙面に反映していきたいと思っています。

 投書欄「言わせて聞いて」で、「こういう課題が気になる」という声を意識しているので、気になるテーマを教えていただけたら嬉しいです。(ラボルテ)

物事に深く切り込んだ記事を

 昨年からお世話になっております、フリーライターの谷町邦子です。2019年は地方、国政で選挙があり、社会が大きく動く怒涛の1年になると予想されます。今年はなお一層、物事に対して深く切り込んだ記事を、そして充実した紙面を編集者たちと一緒に作っていけたらと思っています。よろしくお願いいたします。谷町邦子(本名 中山 文子)

メディアとして幅広い関係性を

 入社時に、山田さんから「取材や集会を通し、幅広い人間関係をつくれることはメディアとしての特権だ。これを通して、まずは人間らしく成長するように」と言われ、1年がたちます。

 若手も増え、各自の分野を持ち寄ることにより、今まで切り込めなかった、時代に応じた課題も掲載できるようになりました。

 今年は取材計画をたて、人民新聞の歴史に恥じない活動をし、新聞社の飛躍と石川一雄さんの無実をかちとりたいです。(村上)

心と身体の再生産サイクルを

 365日周期で挨拶や情報を交換し合う儀礼には親しみを感じず、成人して以降は年賀状を出していません。これは一つには、私の不精もあるのですが、主に私が都市生活者であり、農耕文化の慣習的儀礼に親和性がないという単純な理由によります。自分の生活を中心にして、心と身体の再生産のサイクルを組み立てることができれば、みなもっと幸福になれるのではないかということを考えています。

 かつて私は、「天皇関連の休日ではなく有給休暇の充実を唱えるべき」というテーマでデモをやったことがありました。慣習的に行われている行事や暦と、自分たちの生活との関連を考え直すような試みを、改めて行ってみてもよいのではないかと思います。(Y)

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