大飯原発再稼働に市民が抗議

大飯原発4号機が5月9日、再稼働された

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 大飯原発4号機が5月9日、再稼働された。関西電力の原発は、高浜3、4号機と大飯3号機に加え、大飯4号機の再稼働で、福井県内4基が同時に動くことになった。大飯原発うごかすな!実行委員会は「原発は、人の手におえる装置ではありません。再稼働阻止、原発全廃の行動に起ちましょう」と呼びかけ、再稼働当日、原発ゲート前で抗議集会が行われた。参加したWさん(12年「オキュパイ大飯」参加)と、加藤さん(福島原発事故による放射能のため京都へ避難)に感想を書いてもらった。(編集部・村上)

 

 

(1)ゲート封鎖の記憶が蘇る

w(革命家)

 この日僕は、約6年の時を経て再び大飯原発と対峙した。

 忘れもしない2012年6月、36時間にわたって大飯原発のゲートを封鎖した記憶が蘇る。あの日を共にした同志との再会に加え、新たな仲間も集結して100人。6年前のように休日の再稼働であれば、この数は大幅に増えていたことだろう。

 平日というハードルに加えて現地行動を阻むものに現場へのアクセスの悪さがあるが、これは送迎バスの運行によって解消。さらに街宣車の先導や、シュプレヒコールのプリント配布など、各人の経験と活躍が光る。

 そして今回最も印象的だったのが、全体を包む「柔らかでポジティブな雰囲気」だ。一気に力を出し切って燃え尽きることがないよう、急がず、止まらず、誰でも笑顔で受け入れる。その背中に、脱原発を実現するまで決して諦めず、活動の火を灯し続けるという覚悟を感じる。

 再稼働される「その瞬間」は、全員で声を合わせて迎えた。シュプレヒコールが「再稼働反対」から「原発止めろ」に変わる。

 午後5時、予定通りの再稼働に失意の空気はなく、シュプレヒコールが巻き起こした熱気が僕ら全員の心と身体を温めていた。

 

 

 

(2)避難者として切なる声を

加藤(福島から京都に避難。原発賠償関西訴訟原告)

 25名を乗せた大飯原発行き貸切バスは8時45分、京都駅を出発した。右手に見えていた琵琶湖が見えなくなると同時に、美しい緑の山々が現れ、トンネルを抜けると、静かな塩浜海水浴場が現れた。

 私たちは、人気のない塩浜海水浴場からシュプレヒコールをしながら大飯原発ゲートまでを歩いた。

 ゲート前には柵と警官がミルフィーユのごとく何重にも重なり、私たちの行く手を阻止すべく立ちはだかっていた。

 口火を切ったのは地元の僧侶。95名が集結したことへのお礼とともに、原発再稼働反対への強い意志を熱く語った。「ふるさとを守る高浜・おおいの会」代表は、おおい町で反原発の町議が誕生したことや、美浜町には3人の反原発町議がいることなど、希望を感じる話をされた。

 私は避難者として、「福島の事故は終わっていない。事故の原因究明も後始末もできない原発を動かしてはいけない」と、福島生業訴訟判決の際に配布された「福島切り捨てNО」の文字を掲げ、再稼働反対のアピールを行った。「大飯原発うごかすな!」「原発いらない!」―私たちの切なる声を、国境を越え、時空を超え、人々のDNAにしっかりと刻んでいきたい。

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