「反核ナショナリズム」へ陥らずに 「ヒバクシャ」の国際連帯へ

パリ第三回反核世界社会フォーラム報告(後)パリ第八大学博士課程在学 須納瀬 純

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ウラン採掘は「途上国」差別

 ウラン採掘による被ばくと健康被害とのつながりは、「途上国」へと向けられた偏見と差別的なまなざしの下で否認されてきた。ニジェールでウラン採掘を進める仏企業アレヴァによれば、「40年の採掘の間、放射線への被ばくに因る可能性のあるがんのケースはひとつとして発見されなかった。がんは、汚染の率が高く、過度に贅沢な食品、また多量の煙草やアルコールが摂取される西洋の国々の病である」というわけだ。劣悪な労働環境が生み出されるのは、このような企業のもとである。

 ニジェールの労働者が自分たちの被ばくの状況を可視化することができたのは、2003年、フォーラムにも参加したアルハセン氏が創設した「アギル・インマン(魂の盾)」が、放射線測定のために仏NGOを現地に呼び寄せたからだ。アレヴァ社は、鉱山労働に関して2009年にようやく法廷の場に引きずり出された。それはニジェールの鉱山で70年代後半から80年代初めにかけて働いたのち肺がんで亡くなった元フランス人鉱夫の家族による訴訟であったが、控訴院において敗訴した。

 いまなお開発が進むニジェールでさえ、仏企業への責任追及は困難なのだ。ましてやマダガスカルのような場所では、なおさらである。そこでは植民地体制化の50年代に始まったウラン鉱山が、60年代後半には既に閉山されていた。

 自らが被ばくしていたことさえ知らなかったマダガスカル人労働者たちが置かれていた当時の状況を、今日において知ることは難しい。資源の豊富さゆえに西側諸国に搾取され続けてきたアフリカ大陸には、核の国際関係を専門とする歴史家ガブリエル・ヘヒトが「不可視の歴史」と呼ぶ、こうした事例が数多く存在する。

 「反核世界社会フォーラム」の呼びかけ人であるシコ氏が提唱するように、反核運動もまた国際的なネットワークを組織し直さねばならないとすれば、その運動は、彼らのように歴史の闇に消え去っていく人々の視点から形成されなければならない。そしてそれ故にこそ、反核運動におけるナショナリズムに対して常に警戒を怠ってはならないのである。

原爆のウランもコンゴで入手

 これを日本の歴史的文脈のなかで言い換えるなら、それは「唯一の被爆国」という言葉によって象徴されるような日本に固有の反核ナショナリズムを問うということになるだろう。

 こうして私たちは、例えば映画監督の朴壽南氏が60年代から韓国・朝鮮人被爆者の証言を集めることで「もうひとつのヒロシマ」を提示したように(映画『もうひとつのヒロシマ―アリランのうた』88年)、閉ざされた純粋な「被害者」の空間から抜け出し、〈他者〉の声を聴くように迫られる。

 そもそも、原爆とはどこからやって来たものであったか? 広島、長崎の原爆製造に使用されたウランはその7割以上がコンゴから入手されたものであったが、当時のコンゴ領宗主国ベルギーと米国の間で当時交わされた秘密協定の詳細が明らかになったのは、ようやく2004年になってのことだ。これは、ウランを供給したシンコロブウェ鉱山で、違法なウラン採掘の継続が発覚し閉鎖した年だ。

 しかし、以降も地域は放射線に汚染されたままであり、鉱夫たちの健康被害は続いている。歴史の忘却を前に、鉱山の近郊で育ったジャーナリスト、オリヴァー・ツィンヨカ氏は原爆投下70周年記念に際し、こう述べた。「シンコロブウェは決して思い起こされることはなかった。街は死に、ヒロシマの亡霊に取り憑かれているのです」。彼らにとってもまた、原爆の歴史は終わってはいないのだ。

別様に経験される被害者をつなぐ対話の場が必要

 2017年7月7日、ニューヨーク国連本部において「核兵器禁止条約」が加盟国193カ国中122カ国の賛成によって採択された(米英仏はじめ核保有国および日本は不参加)。この条約は原爆投下以後に核兵器を違法とする初のもので、条約の前文に「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)と核実験の被害者に引き起こされた受け入れがたい苦痛と被害に留意する」という文言が盛り込まれたことも注目された。

 「ヒバクシャ」、日本語発音のまま表記されるこの言葉は、そこで起きた苦痛がいかに筆舌に尽くしがたいものか、言い換えれば、それがいかに翻訳しがたいものであるかを物語っている。私たちは同じ「核」を語っているように見えて、実のところその「核」は各地に生きる人々によって全く別様に経験されているのだ。

 だがそれでもなお、もし私たちが「核」に抗する一つの対抗軸を形成しようとするなら、それらの経験は翻訳され、共有されなくてはならない。これは、「反核」運動の持つ固有の難しさと言えるだろう。実際、同じ国のなかでさえ、原発事故の被災者と原爆の被爆者をつなげることは困難なのだ。

 そうした状況において、原発の収束作業に従事する労働者、アフリカのウラン採掘産業に携わる人々、そして「先進国」で原発の即時廃炉を訴える市民運動家たちを結びつける共通の言葉とは、いったいどのようなものなのだろうか?  

 「反核世界社会フォーラム」は、国際的な連帯の基盤となるそのような言葉の発明に相応しい対話の場となるはずであり、そのためにこそ、それは今後ますます必要なものとなっていくだろう。

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